禍つ月映え 清明き日影

章之壱 清輝に惑う

肆 逆賊 [03]

 輝行が基や織月とともに濡れ縁を歩いているちょうどその頃、先に席を立っていた要と累は別邸の最奥に位置する部屋で向かい合って座っていた。
 襖や障子で仕切られていることがほとんどのこの屋敷内で、数少ない板戸のはめ込まれた一室である。更には窓も照明もない為に室内は他の部屋よりもずっと薄暗い。
 室内に装飾の類は一切なく、あるのは漆塗りの燭台が一本だけ。そこには朝顔が描かれた和蝋燭立てられ、その炎が揺らめく度に二人の影がゆらゆらと青畳の上に踊る。
「随分と、お久しぶりですね。最後にお会いしたのはもう三年以上も前でしょうか」
 問いかけるというよりも、確認を取るといった風な口調で要が口を開いた。それに累はすいと目を細め、懐かしむような微笑を浮かべる。
「もうそんなに経つんだね。姫が、『姫』であることを捨ててから」
「今更言うのもおかしな話ですが、私は本当に貴方に感謝をしているのです。郁が今、私たちとともにあるのは、貴方のお力が大きいのですから」
 本当にありがとうございます、と畏まった態度で要が深々と頭を下げた。それに累は軽く頭を振り、困ったように笑んだ。
「僕よりも、『妹』想いの『兄』の力の方が偉大だよ。『彼』がいなければ、いくら僕がいようとどうしようもなかった」
「その逆も然り、でしょう?」
 要にそう切り返されることもわかっていたのか、累は、確かにそれはそうだけどね、と苦笑混じりに答える。そしてゆったりと、それにしても、と話を切り替えた。
「どうして今頃『ヤツら』が動き出したのかな」
「それは……わかりません。もしかしたら、郁が最後の嫦宮だと、どこかで知ったのかもしれません」
「目障りな嫦宮と宗家一族を滅ぼす格好の機会だと? 身の程を知らないヤツらだ」
 目の前にいない相手に、累は口角を上げて妖しく嘲う。要もそれに倣うように穏やかながらも挑戦的な光を瞳に宿して続けた。
「横木輝行は――」
 含みを持たせるようにそこで止め、要は累の表情を窺う。意を得て累はゆっくりと頷いた。それに合わせて、畳に映る影も揺蕩う。
「棡の血は有り難いね。いい駒になると思うよ」
「郁が後ほど照一朗殿に話を通しておくと言っていました。こればかりは先々代の甘さに感謝すべきですね」
 意味深に笑みが交される。揺れる炎の明かりがますます彼らの表情を妖しく見せた。
「昔の姫では有り得なかっただろうからね」
「そうなのですか? 私は先代までしか存じませんので」
 先代もお優しい方だったと、要は少し感傷に浸るような風情。
 それに微かに笑んでから、累は艶やかな漆黒の燭台の上に揺らぐ紅蓮へと双眸を向けた。その眼差しは、どこか愛おしげにさえ見える。
「優美にして、苛烈。艶麗にして、無慈悲。それが僕の知る本当の姫だよ」
 累の語る言葉は確かなのだろう。そうは思うのだが、それでも要は強い違和感を覚え、継げるべき言葉が浮かばなかった。
 それを理解したのか、累は表情を改めると、昔話はこの辺りでと話を打ち切る。その代わりと、新たな話題を提供した。
「それで、静生(しずき)の件だが」
「そのことなのですが、やはり沙織(さおり)さんには伏せておいた方がいいのでしょうか?」
 眉間に深く皺を刻み、要が深く案じるような表情を見せる。累はしばしの間黙して考え込み、諦めたように溜め息をついた。
「その方がいいだろうね。姫もそう言っていたのだろう?」
「ええ、そうなのですが……」
「彼女は、織月が我々と関わることを未だに厭っている」
「ですが」
「宗主殿」
 なおも言い募ろうとする要に、累は穏やかではあるが有無を言わせぬ声音で呼び掛けた。
 要は累の言わんとすることを悟り、口を噤む。
「君は誰にでも優しすぎるのだよ」
「そんなことは……。しかし、上に立つ器ではないのでしょうね」
 自らの言動を恥じるように、要は自嘲の笑みを浮かべた。累はそれに柔らかく目を細め、頭を振って否定する。
「いや、君のような宗主だから、姫は解放されたのだよ。そのお陰で救われた人間も数多くいるはずだ。君は六条院家では稀に見る良き宗主だと思うよ」
 六条院嫌いの僕が言うのだから間違いない、と累はほんの少しの皮肉を交えてにこやかに笑った。それに要は返す言葉もなく、曖昧に苦笑するだけ。
 もう話は済んだとばかりに、累はその場から立ち上がり濡れ縁へと続く引き戸へと向かう。辞去の意を汲み、要は去ろうとしている累の背中へ、深々と頭を下げた。
「宗主殿」
「はい」
 背中越し、振り返りもせずに累が要に語りかける。要は少し顔を上げ、累の背中を見つめた。
「今の宗家諸筋において妖の戻士は君だけだ。横木輝行のこと、頼んだよ」
「はい。心得ております」
 再度要が礼を取ると、累はそのまま薄暗い部屋から外光眩しい濡れ縁へと消えていった。
 要はゆっくりと身を起こすと、先ほどまで累が座していた場所へと視線を巡らせ、溜まっていた何かを吐き出すように大きな息をつく。

 その憂いの混じる横顔を、仄々とした頼りない小さな炎が、ただ静かに照らしていた。



 時間は少し戻り――。
 基に頼まれた輝行が最初の座敷に戻った時には、基の言った通りに郁たちと守屋兄弟との話は終わっていたらしく、郁は尚志と二人だけで話をしていた。
 話の内容はどうやら他愛もない日常の会話のようだったが、あまりにも容貌の整った二人が仲睦まじく話している様子に、輝行は少々気遅れして話しかけるのを躊躇ってしまう。そんな輝行に気付いたのは、尚志の方だった。
「郁、行くぞ」
「え? ああ、横木君。戻ってきたんやったら呼んでくれたらええのに」
 やにわに立ち上がった尚志に、郁も遅れて輝行の存在に気付いた。続いて立ち上がると、部屋の入口に立ち竦んでいた輝行の傍まで歩み寄る。
「す、すいません」
 謝る輝行の肩を尚志が気にするなといった風に軽く叩き、前に立って歩き出した。その後ろについていくと、郁が輝行の隣に並んでくる。
「さて、これから横木君色々と大変になるでー。覚悟しといてなー」
「あの、もう今まででも十分に大変なことばかりなんですけど……」
「あ、そらそやなー」
 納得して郁は豪快に笑い出す。
 その郁の様子に、輝行はやはり納得できないような不思議な感覚に陥った。
 合宿所で見た郁や基の容貌は、明らかな異相で織月と同じく戻士であるとは理解できる。
そして、郁はその中でも最も力の強い『嫦宮』と呼ばれる存在なのだと聞いた。
 しかし、その嫦宮とは何なのかがいまいちよくわからない。
 何より、宗主である要がいるのにどうして郁が最高責任者なのか。本来宗主というものが一番偉い立場のはずではないのだろうか。
「何や気になることでもあるん?」
「え? あ、いえ」
 考え込んでいた輝行を窺うように、郁が覗き込む。半端なく整った顔が、目の前に現れたことに焦って、輝行は一歩退いた。
 そんな輝行の様子に、不思議そうな顔をしつつも郁は続ける。
「わからんことあったら、気にせんと聞いてくれてええんやで?」
「あの、じゃあ、すごくどうでもいいことなのかもしれないですけど、いいですか?」
「なになにー?」
「嫦宮って、何なんですか?」
 最強の戻士。それだけで説明できないものがある。そう感じたのは、織月や響の態度が、『最高責任者』という立場に対する以上ものに思えたからだった。
「まあ、簡単に言えば……『生き神様』かな」
「いき、がみ?」
 突然飛び出した単語は仰々しく、それ以上に胡散臭い。しかし同時に、織月や響の態度の説明には充分になっているように感じた。
 言葉を発した当の本人は、自嘲とも呆れともとれるような、曖昧な薄い笑みを浮かべ、言葉を繋ぐ。
「そうそう。祟られるくらいなら祀り上げとけってもん」
「祟るって……戻士だってただの人間じゃないですか」
「将門だって道真だって、元はただの人間やろ?」
 郁の言うことはもっともなのだが、だからといって納得のできる答えでもなかった。
 結局、答えを求めて出した質問は、更なる謎に包まれて返されただけ。そうして考え込んでいる間に、目的の部屋に辿り着いてしまった。
 気を取り直し、基と待っていた織月の隣に腰を下ろそうとする。その一瞬、ふと織月の様子が先ほどと違うように感じた。見た目が大きく違うわけではない。いつも通り、あまり感情を感じさせない薄い表情だ。けれど、何かを堪えるような、そんな気配を僅かだが感じる。
「各務?」
「はい。何ですか?」
 返事とともに顔を上げる織月だったが、いつも真っ直ぐ過ぎるくらいの視線を向けるのに何故か視線を合わせようとはしない。
 輝行にとって、そんな織月を見るのは初めてだった。自分がいない間に基と何か話でもしたのだろうかと思うが、今ここでそれを問い質すことも出来ない。「いや」とだけ返してその場に正座をした。
「あ、足崩してええで。かしこまられるとこっちも話しにくいわ」
 そういう郁はすでに片膝を立て、寛いだ様子だ。素直に好意に甘え、輝行は胡坐をかいた。
 さて、と郁が一言前置きのように呟いて、表情から笑みを消す。
「率直に言うわ。横木君、君の持つ力は貴重なもんや」
「貴重、ですか?」
 いきなりそんなことを言われても輝行自身はピンとこなかった。けれど、郁はそれに小さく頷く。
「そう。しーちゃんから少しは説明聞いたやろ? 戻士の能力の種類」
「えっと、『魔』と『妖』とそれから『時』と……」
「あとは『モン』二つやな。戻士全体の数も少ないけど、その中でも特に妖の戻士は少ない」
 郁の言葉に素直に頷くが、すぐさま言われている言葉の意味を理解して、輝行は愕然とした。
「じゃ、じゃあ、もしかして俺は妖の戻士だって言うんですか?」
「うん、そやな」
 輝行の驚きを余所に、郁は何ともあっさりとした返事だった。どうにも彼女のノリは軽過ぎるように感じたのだが、輝行がそれにモノ申す暇もなく郁はさっさと話を進めていく。
「で、ただでさえ少ない妖の戻士は送魂師にとっても欲しい逸材やねん。それから、魔と妖それぞれからも」
「あの、魔はどうしてわざわざ付紋してまで俺を狙うんですか?」
 織月に助けられて以来、それなりにこの世界に関しての知識はついていた。しかし、付紋の理由が、考えてみても思いつかない。織月に聞こうと思ったことも何度かあったのだが、いつも機会を逸してここまできてしまっていた。
 輝行がただの人間であるのならば、取り逃がしたからと言って魔の方にも損害はないだろう。それでもしつこく追ってくる理由があるとすれば、今日知らされた事実――自分自身が戻士の力を持っているということに、あのトカゲのような魔が気付いたからなのではないだろうか。
 そう思うと、能力を発揮できるようになる前に、その芽を摘むという意味で納得できると思ったのだが――。
「ヤツらが人間を襲う理由は二つある。一つは、自分達の糧とすること。もう一つは、より強い『器』を手に入れること」
「強い、『器』?」
 理解の及ばない輝行に、郁の表情から軽さが失せる。真剣というほどではないが、明らかに纏う空気の重量感が増していた。それでも笑みを消さずに話し続けるが故に、輝行は恐怖にも似た感覚を覚える。

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