禍つ月映え 清明き日影

章之壱 清輝に惑う

肆 逆賊 [02]

「まあ、それはええとして。自分が累から渡された物が何か覚えとるか?」
 戸惑う輝行に、郁が相変わらず必要以上に楽しそうに問い掛けを寄越した。
 輝行は一瞬何の話をしているのかがわからなかったが、すぐに常磐事務所で累から渡された短刀のことを思い出す。
 そういえば、あれ――『揺光』は、不思議な物だった。触れただけで姿が消え、累に聞いた話では銘を呼べば召喚できるという。実際に輝行はまだ召喚したことはないけれど、触れただけで目の前から消えたのは確かだった。
「あの揺光っていう短刀のことです、よね?」
「そうそう。あれは『晄具(コウグ)』って言うてな、簡単に言えば特殊な能力を持った人間にしか使えへんねん」
「俺はまだ使ってないですよ」
「使てへんくても、触ったら『消えた』んやろ? ほなそれは『揺光』が君を認めたちゅーことや」
「認めた?」
 郁の説明にいまいち納得はしきれないけれど、否定できるほどの要素もない。結局輝行はそういうものなのだと言われるがまま受け入れるしかないようだった。
 黙ってしまった輝行を見て、基が横道に逸れた話を本筋へと戻す。
「それで、だ。横木には自分の身を守る為にも、晄具を使えるようになってもらわないといけないわけだ」
「それはわかるけどよ、一体誰が横木の面倒見るんだ? おれや兄貴じゃ役に立たねぇだろうし、織月は接近戦向きじゃないだろうよ」
「心配せんでも宗家で面倒見るよ」
「宗家方自らですか?」
 郁の一言で、それまで黙って話を聞いていた響が、静かだが明らかな不満を含んだ声を上げた。
「そうや。ウチも含め、尚志も基も茉莉もおる。適当に分担してやったら、大して労力も要らんやろ」
「おまえら三人だけで充分だろ」
「たまには尚志も体動かさな、老化進むで?」
「脳味噌を常に使ってるから問題ない」
 郁と尚志の能天気な会話に、響は更に苦々しそうに眉間の皺を深めた。郁は馬鹿げた会話を中断し、視線を響へと向ける。
「……私の決定が不服か?」
 柔和な笑みと、凛とした声。それを聞いてハッとしたのは、言葉を向けられた響だけではなかった。
 絶対的な『力』を帯びた郁の一言に、一瞬にして空気が引き締まる。聞いていただけの輝行も、思わずピンと背筋を伸ばしてしまうほどだった。
 言葉を掛けられた当人の響は、すぐさまいえと短く答え、詫びるように面を伏せる。その様子を、輝行は信じられない思いで見つめた。
 響は初めて会ったときから、尊大で見下すような態度を輝行に取り続けてきた。それは勿論、輝行だからなのかもしれないのだが、年下の少女にこうも簡単に服するというのが意外だったのだ。
 それと同時に、郁が『戻士』達にとって絶対的な存在なのだと実感させられる。どれだけふざけていても、どれほど茶化していても、ほんの一言で響を黙らせた郁には、一族の頂点である者の威圧感が十分すぎるほど備わっていた。
「さて、話がよう逸れるけど……」
 溜め息まじりに郁がそう呟くと、張り詰めていた空気が霧散する。郁の言葉と視線を受け取って、基がまた話し始めた。
「とにかく、もうすぐ総体があるから、本格的な修行はその後だな。織月ももちろん参加すること。亨と響にはそれぞれ調べてほしい件があるから、後で資料を渡す。ああ、帆香も一応修行に付き合ってくれ。多少怪我することもあるだろうし」
 次々と基が指示を出し、出された側は頷きながらそれに応える。一通り指示が終わると、隣の郁に確認するように視線を合わせた。郁が頷くと、それまで以上に真剣な表情で言葉を繋ぐ。
「それで、今回の件に関係ありそうな嫦宮裂の一族を幾つか挙げておく。堀川家、倉橋家、大江家、荒木田家、宮崎家――」
「……え?」
 一瞬、我が耳を疑う。基の列挙する家名の中に、非常に馴染んだ名があったからだ。
 基は輝行の様子に気付かないのか、それとも気付いていて無視しているのか、そのまま続けて家名を挙げていく。しかし、輝行の耳にはその続きの言葉は全く入ってこなかった。
(『宮崎家』って……、隼人は関係ないよな?)
 いつも能天気で、可愛い女の子には目がない隼人。輝行と織月の仲を疑ってはからかう隼人。どこからどう見ても、年相応のごく普通の高校生でしかない少年だ。
 そう思うと同時に、合宿中に亨から聞いた言葉を今になって思い出す。
『いくら信用できると思っている人物でも、気を許すな』
 あの時は基の存在を疑った。偶然のように基が合宿所にいたからだ。尊敬している先輩だったからこそ、余計に基に疑念を抱き、他に怪しい人物が身の回りにいないかなどと気をまわす余裕もなかった。
 けれど、もしかしたらあの累からの忠告は、隼人を指してのことだったのかという考えまで浮かんでくる。
(違う! そんなわけないだろうが! アイツはちょっと女好きなどこにでもいる普通のヤツだ!)
 強く否定はしてみても、一度浮かんだ嫌な考えはなかなか消えてはくれない。青ざめた顔で黙りこんだ輝行を案じるように織月が窺っていたが、それにも全く気付かなかった。
「全部で十余り。亨と響の調査結果によってはもっと絞れるだろう。あとはそれぞれ個人的に話したいことがあるから、この場はひとまず解散」
 基の言葉をきっかけに、まずは累と要が立ち上がり、示し合わせたように二人揃って部屋を出ていく。
 郁と尚志は茉莉に指示を出し部屋から送り出すと、守屋兄弟と帆香を側に呼びつけ何事か話し始めていた。
 基が織月を側に呼び、そして輝行にも声を掛ける。しかし、輝行はいまだ考え込んだまま微動だにしない。
「横木」
「あ……、すいません」
 肩を揺さぶられようやく我に返るが、それでも輝行の表情は冴えなかった。基は引きずるように輝行を立ち上がらせると、二人についてこいと濡れ縁を屋敷の奥に向かって歩き出した。
 俯きがちに基の後をついて歩く輝行の耳に、蝉の声が煩わしく響く。それがますます今の不安な気持ちをかきたてていった。

 皆の集まる座敷から十分に離れると、基は足を止め二人を振り返る。いまだに途方に暮れたような表情の輝行に織月は気遣うような視線を向けるが、輝行は気付きもしないまま、ただつられて足を止めるだけ。
 そんな輝行に、基は一度深く息をついてから口を開いた。
「横木、宮崎を信用するな」
 ストレートに自分の憂いの原因に触れられ、輝行は落としていた視線を跳ね上げた。冗談であってほしいと強く願うが、向けられる基の瞳に戯れは一切ない。どこまでも冷徹で、威厳さえ感じさせる双眸だった。
「織月も、アイツの動向には注意してほしい」
「わかりました」
「待って下さい! アイツが、隼人が『送魂師』だって証拠があるんですか!? 宮崎なんて苗字、どこにでもあるじゃないですか! 他の苗字だってよくあるものだったし――!」
「証拠はないが、可能性はある」
 必死に否定をしたい輝行に、基はにべもなく言い捨てた。その視線は、今の輝行にとっては無情に思えるほど冷たい。そう、合宿所で郁の為ならどんなことだってすると言い切った時と同様の冷淡さだ。
「可能性って……」
 それでも、輝行には基の言葉は容易には受け入れられなかった。
 輝行にとって、隼人は高校生活の大半を共に過ごしてきたかけがえのない親友なのだ。今までだってずっと一緒にいたし、これからもそれは変わらないと信じている。その存在を信用するなとは、切り捨てろと言われているのと同意だ。
「……可能性って、もし隼人が本当に『送魂師』の一族なら、どうするんですか?」
「どうするって、それは相手次第だな」
「相手次第? じゃ、じゃあ、別に隼人が俺や宗家の人たちに危害を加えたりとか敵対しなければ、何もしないってことですか?」
「そういうことになるな」
 基の短い返答に、輝行の瞬時に明るさを取り戻した。
「な、なんだ。じゃあアイツは大丈夫ですよ! そんな大層なことが出来るヤツじゃないですから!」
 そう言って笑みさえ浮かべる輝行に、織月はこっそりと嘆息した。輝行の言っていることには何の根拠もない。完全に個人的感情のみだ。
 それを基もわかっていて、呆れたように苦笑を洩らす。
「おまえは本当に楽観的だな」
「俺はアイツがどういう奴か知ってます。基先輩よりも、陸上部やクラスの他の誰よりもずっと……」
 だから、と自信に満ちた表情で、輝行はまっすぐに基を見据えた。
「俺は隼人を信じます」
「もし、宮崎が『嫦宮裂』だったらどうするんだ?」
「だから、それはありませんって」
「あのな、俺は可能性の話をしているんであって……」
「だからその可能性自体がないんです。隼人はただの高校生です」
 何を言っても自分の主張を曲げない輝行に、とうとう基は大仰に溜め息をついた。これ以上何を言っても埒が明かないと観念したのだろう。
「あー、もうわかったわかった。じゃあおまえはそれでいいよ」
「基先輩、じゃあ……」
「はいはい。宮崎は対象から外すから。んで、そろそろあっちの話も終わってるだろうし、姉さん呼んできてくれ。俺と織月はこっちの部屋いるから」
 疲れた表情ですぐ近くの和室を示し、基は輝行に使いを頼む。
 基とは対照的に、輝行は心の内の重石が取れた所為か晴れ晴れとした笑顔で返事を返すと、もとの和室へと戻っていった。
「織月は、どう思っている?」
 輝行の姿が見えなくなると、徐に基が口を開いた。先ほどの表情はすっかり改められ、再び厳しさを湛えている。
 織月は頭の中で自分の考えをゆっくりと整理してから答えた。
「宮崎家についてはあまり知りませんが、嫦宮裂は送魂師の中でも力の強い家筋がほとんど、なんですよね? それならば、宮崎先輩がそうであるかどうかは別にしておいて、注意するに越したことはないと思います」
「そうだな。織月ならそう言うと思ったよ。というか、普通はそうだよな。まったく、横木はバカ正直だから……」
「それが横木先輩のいいところでもあるんですけどね」
「……へぇ」
 基の含みのある相槌を聞いて、織月は慌てて顔を伏せた。織月自身それほど意識して発した言葉ではなかったのだが、どうやら基はそこから織月の輝行に対する好意を微かに感じ取ったらしい。
「織月はああいうタイプが好みなのかー」
「ち、違います! 別に私は……」
「いや、俺も横木はいいヤツだと思うよ。ただ、ちょっとバカだけどな」
 頬を赤らめて否定する織月に基は優しく微笑むと、輝行の戻っていった濡れ縁の先をもう一度見つめる。
 あと数分もしないうちに、輝行は郁を連れて戻ってくるだろう。その前に、織月に伝えておかなければならないことがある基は、先ほど輝行に示した部屋へと織月を促した。
「織月、横木のことだけじゃなく、おまえにとっても重要な話がある。宮崎家は――」

▼栞を挟む

page top