禍つ月映え 清明き日影

章之壱 清輝に惑う

参 疑惑 [06]

「んだよ、分裂とかって卑怯だろっ」
 思わず悪態をつく輝行に応えるように、目の前の妖がニヤリと口元を歪めた。そして地面に尻もちをついた格好の輝行に、鋭い爪が振り下ろされる。
 何とか横に避ける。だが、その先にあった大きな樹の幹に追い込まれる体勢になってしまった。その前に、妖が立ち塞がる。逃げ場は、ない。
 一方、織月はもう一体の妖と攻防を繰り広げながらも、輝行の傍に急ごうとしていた。だが、焦りから思うように体が動かない。
 妖の研ぎ澄まされた爪が、織月の頬や腕、肩を掠めていく。徐々に増える傷と疲労。それでも、何とか凌ぎながら、織月は『待って』いた。
(必ず、来るはず)
 視界の端に、輝行が追い詰められているのがわかる。更なる焦りに、一瞬大きな隙ができた。それを妖は見逃さず、渾身の力で爪を突き出す。
「ぐっ!」
 右肩を貫かれ、痛みと反動で小刀が手から滑り落ちた。
「しまっ……!」
 織月が落ちた武器に手を伸ばすより早く、妖の斬撃が振り下ろされる。
 ほぼ同時に、輝行にも妖の魔手が振りかざされた。襲いくるはずの痛みに堪えようと、輝行は身を強張らせる。
 刹那、一陣の風が吹き抜けるのを感じた。それは清冽にして鋭利な烈風。
 いつまで待っても襲ってこない妖を不思議に思い見上げると、その右の肩から胸の辺りまでがごっそりと無くなっていた。
「おまえね、揺光持ってんだから『召喚べ』よ」
 直後に呆れたように響いた声に輝行は耳を疑った。その声は前から知っている、自分の尊敬する人のものだったからだ。
 声の方角は、織月のいる辺り。見ると、今にも織月を襲おうとしていた妖の右腕が銀糸の髪を持つ青年に背後から掴み止められていた。
「基、先輩……?」
 輝行の知っている姿とは明らかに違う。けれど、それは間違いなく六条院基でしかなかった。輝行の声に振り返った基の瞳は、何故か右目だけが蒼く、輝行は思わず息を呑む。
 そんな輝行の傍にもガサと下草を踏みならして人影が現れた。しなやかな黒髪をポニーテールにした少女――茉莉だ。
「悪いな、織月。遅くなって」
「基、様……」
 異相の基が、そう織月に笑いかけると、織月は痛めた右肩を押さえながら首を左右に振る。
 輝行の頭の中は完全に混乱しきっていた。基の姿が違うこと。織月に親しげに話しかけていること。織月が基を『様』付けで呼んでいること。何もかもが突拍子もなさ過ぎて、上手く自分の中で纏められない。
 基は織月を安心させるように笑み零すと、茉莉に視線を送った。
「茉莉」
「はい、基兄様」
 茉莉は素直に応じと、輝行を庇うように体の一部を失った妖の前に立つ。右手を軽く持ち上げた。
「『朱飆(シュヒョウ)』」
 短く茉莉が術名を紡ぐと、その手の先から苛烈な熱風が生み出され、妖は基のいる方角へと吹き飛ばされる。
「『天狼(テンロウ)』」
 基が冷たい声音を響かせると同時に、自分に向かってくる妖を薙ぐように左手を振るった。一瞬でその妖の姿形が崩れ去る。仲良く二体とも、だ。
 基の左手には蒼く透明に光る刀身を持った刀が握られていた。その刀はどこまでも冷たく美しく、神々しい。そしてどこか今の基の持つ空気と同質のものを持っているように感じた。
 基は刀――天狼を地面に突き刺すと、柄頭に右手を置く。軽く息を吸い込むと、静かに口を開いた。
 そこから紡ぎ出されるのは、先ほどまで妖に向けられていた冷淡なものではなく、穏やかな慈愛を感じさせるような、詠唱(ウタ)。
「ヒサカタノ ヒカリフリサスワダツミニ……」
 基の声に反応するように、辺りの空気が淡い光を帯び始める。小さな光の粒が幾つも生まれ、暗いはずの森の中が徐々に明るく照らされ始めた。
 滔々と流れることのはに導かれ、光は寄せ集まり天へと昇る。
「……ネガイタマヒシ カノヨノヤスキヲ」
 最後のひとことを詠い終えた頃には、光は遙か高処へと溶け込んでいった。静謐で清浄な気配で辺りは埋め尽くされ、今まで妖が放っていた禍々しい気は微塵も感じられなくなっている。
 輝行は茫然と一部始終を見つめるだけだった。
 ようやく我に返ったのは、茉莉に至近距離で顔を覗きこまれ、大丈夫ですかと問い掛けられてから。
「あ、は、はい。大丈夫です」
 慌てて答える輝行に、茉莉はくすと笑うと、基と織月の方へと近づいていく。
 織月が基に支えられるようにして立ち上がるのに気付き、輝行はようやく彼女が負傷していることに気付いた。
「各務! 大丈夫か!?」
 茉莉の後を追うように、織月の傍まで駆けつける。右肩を抑える織月の指の隙間からは、赤い液体が伝っていた。
「大丈夫です」
「んなわけないだろ。とりあえず応急処置はするけど、明日は大人しく休んどけ」
 気丈な織月の言葉を、基は不機嫌そうに否定する。そしてそのまま厳しい視線を輝行に向けた。
「横木、織月の怪我はおまえの所為でもあるんだぞ」
「え……」
「え、じゃない。何の為に累が揺光を渡したと思ってんだ?」
 今までに見たこともないほどの基のきつい眼差しに、輝行は返す言葉も見つからなかった。
 闘えと言われていきなり闘えるわけはないのだが、それでも護身用にと揺光を累から渡されていたことは確かだ。それをちゃんと思い出して使用することができていたら、戦況はもう少し変わったかもしれないということは輝行にもわかった。完全に存在を失念していたのだから、基に責められても当然だと項垂れる。
「基、それくらいにしとき」
 宥めるような透明な声が、落ち込む輝行の鼓膜に優しく響いた。
 ゆるりと顔を上げると、そこには漆黒の長い髪と右目が紅、左目が基と同じ蒼という異相の女性。妖しいほど艶麗で凛としたその顔立ちが誰かに似ていると思うが、すぐにはわからなかった。
「それよりしーちゃんの手当てが先やろ?」
「そりゃそうだけど……」
 基が少々不満げにその女性を見つめる。輝行はなおもその正体を探るようにじっと女性を見つめていると、それ気付いた相手ににっこりと微笑まれた。
「何や、横木君わかっとらんのか。ま、コレじゃしゃーないやろけど」
 悪戯な笑みを浮かべられ、女性が艶やかな長髪の毛先を軽くいじる。そしてそれを軽くかきあげたかと思うと、次の瞬間には短くなった髪が肩よりも上で揺れていた。
 瞳も両方とも、黒い。
「え……、か、おるさん……?」
 瞬く間に外見の変わったその姿を見て、呆気に取られることしかできなかった。
 似ていると思ったのは間違いであった。似ているのでなく、彼女自身を輝行は知っていたのだから。
「改めて自己紹介しとくわ。城宮郁、戻士の宗家・六条院家の最高責任者や」



 五日間にわたった合宿ももう間もなく終わりを告げる。最終日は世話になった合宿所の掃除や整備がある為に、練習は午前中で切り上げられた。
 輝行は隼人たち男子部員数人と、食堂の掃除の担当だった。幾つもあるテーブルを全て端に寄せ、掃き掃除のあと、雑巾がけをする。
 その作業のさなかも、昨日の一件に関することばかりが頭を占めていた。時々話しかける隼人にも、生返事しか返せない。
 輝行と織月は途中で道を間違えて道に迷い、その途中で織月の具合が悪くなったということにされていた。その為、織月は今日の練習も休み、今の清掃にも参加していない。基にも言われたように、大人しく休んでいるようだった。
 どうやら基たちが上手くみどりや部長、他の部員たちを言いくるめた結果なのだろう。
(基先輩たちが戻士宗家……)
 何とか頭の中を整理しようと試みる。
 敵かもしれないと思っていた基が実は味方だった。それだけでなく、あの後三階のスタッフルームにこっそりと呼ばれた輝行が知ったのは衝撃的な事実ばかりだった。
 スタッフ全員が六条院宗家に連なる家系で、合宿所のオーナーも実は宗家の長たる宗主だという。その上、今回の肝試しに関しても彼らが一枚噛んでいたらしい。
「悪いな、横木。あの妖は用心深くて、オレ達が近付くと絶対に出てこなかったんだよ」
 さほど悪いと思ってなさそうに、基がそう説明した。輝行のマーキングで誘き出されるだろうと踏んでのことらしい。
 しかし、それだけでは納得できないことも幾つかあり、一つ一つ説明を求めるには余りにも時間が足りないと輝行には思えた。
 それを理解した基は、合宿が終わった後、六条院宗家で説明すると約束をした。
 そして、まだ、一番肝心なことを話していないとも。
「テルー! 一体何回同じところ拭いてんだよ!」
「え? あ、すまん」
 隼人の一言で現実に引き戻され、輝行は自分がまったく掃除を進められていないことに気付いた。隼人の小言を聞き流しながら、まだ拭き終わっていない場所へと移動する。
「なー、テルー」
「何だよ」
「……昨日、肝試しの時に何かあったのか?」
 興味津々な様子の隼人に、つい鼓動が速くなるが、何もねぇよと素っ気なく返す。
 しかし、やはり隼人は隼人であって、妙な方向へと勘繰るのは当然だった。
「ホントかぁ? もしかして、どさくさに紛れて各務襲っちゃったとか」
「そんなことするわけねえだろうが!」
「あ、そうだよな。嫌われちゃったら元も子もないもんな」
「……隼人、いい加減オレも怒るぞ?」
 何も理解できていないことへの苛立ちと、織月に怪我を負わせてしまった罪悪感も相俟って、いつもなら適当に流せる隼人とのやりとりも、今の輝行には不愉快で仕方がなかった。
 珍しく本気でキレそうな輝行の口調に、隼人はようやく口を噤む。「ごめん」と珍しく殊勝な態度の隼人を見て、輝行は八つ当たりをしてしまったことを自覚した。
「いいから、さっさと掃除終わらそうぜ」
 少しだけ口調を和らげると、隼人の表情が途端に明るくなる。そして、今度は嬉しそうに昨日の肝試しの自分の戦果を話し始めた。
 そういえば、隼人は郁と、輝行たちより後に出発したはずだった。基の説明によれば、あの妖が出現した辺りは空間的に隔離されていた為、隼人たちは輝行や妖には気付かなかったはずだと言う。
 そこでふと疑問が浮かんだ。
 隼人はともかく、郁は戻士の頂点に立つものだ。その彼女が輝行や妖に気付かないはずがない。
「んでさー、郁さんって本当に綺麗でさー。せっかくお近づきになれたから、できれば今後もお付き合いしたいなーとか思ったりさー」
 デレデレと表情を崩す隼人の言葉に、輝行は適当な相槌を打つ。
「だからさー、テルは基先輩とも仲いいしー、協力してくれよー? なー?」
「そうだなー」
「マジか!? 約束だぞ、テル!」
 隼人が突然両手を掴んで叫んだことで、輝行は自分が何と答えたのかを思い返した。と、同時に、面倒くさい話になったと溜め息が零れる。
「あー、いや、今のナシ」
「何でナシだよ!」
「無理だろ、あんだけの美人じゃ」
 率直な輝行の感想に、隼人は頬を膨らませる。しかし、輝行にとっては隼人を思う気持ちがあっての発言でもあった。
 郁は戻士であり、その中でも最上位。けれど隼人はごく普通の高校生なのである。明らかに住む世界が違うのだ。
 何より輝行は、親友をこの非日常的な状況に巻き込みたくなどなかった。隼人と過ごす当たり前の日常が壊れてしまうのが嫌だったのだ。
「そんなことないだろー。テルのケチー」
「誰がケチだ、誰が」
「おれだって恋がしたいぞー! 郁さんラブー!」
 恥ずかしげもなく大声を上げる隼人に、輝行は自分の方こそ恥ずかしくなる。
 と、ガンと隼人の脳天をハードカバーの書籍が直撃した。
「……ったー! 何すんだ! ……すか、基先輩ぃ」
 途中から相手に気付き、隼人は無理やり語尾を敬語に変える。が、基は見た目だけは優しげな笑顔を浮かべると、つい今しがた自分が落とした本を拾い上げた。
「宮崎、残念ながら姉さんは売約済みだ」
「え?」
「婚約してるんだよ、尚志さんと」
 ちらと基が目線だけでとある人物を示す。それは合宿所スタッフの一人の赤茶の髪の青年だった。昨日聞いた話によると、彼――吉良尚志は茉莉の実の兄だそうだ。
「えー? 美男美女ってずるいじゃないっすかー!」
「ま、例え尚志さんがいなくても、おまえに姉さんはやれないよ。絶対に、ね」
 にこと笑顔を作る基だったが、その視線は言葉以上に冷たいものがあった。やはり基は極度のシスコンらしいと、輝行は結論付ける。
「ほら、姉さんのことは素直に諦めて、掃除掃除!」
「はーい」
「横木もぼーっとしてんなよ」
 ついでといった感じで、基が輝行の額を軽く小突いた。どうやら上の空で掃除をしていたことがバレバレだったらしい。
 輝行は隼人が雑巾がけの続きを始めたのを見計らってから、こっそりと基に問い掛けた。
「基先輩、各務は……」
「心配すんな。昨日の内に帆香に治療してもらったし、総体の頃には完治してるだろう」
「そうですか。よかった。あ、すみません、掃除に戻りますね」
 ほっと一息つくと、輝行は思い出したように雑巾がけの続きへと向かった。少々隼人とじゃれあいつつも、先ほどよりはよほどしっかりと掃除に取り組んでいる。
 基はその様子を、僅かばかり眉をしかめて見つめていた。
「……『覚醒(めざ)める』が先か、『絡めとられる』が先か……」
 誰にも聞こえないほどの小さな呟きは、賑やかに片づけを続ける部員たちの声に至極簡単にかき消されていった。
 基はそのまま踵を返すと食堂を後にし、三階へと向かう。最奥の部屋のドアをノックもなしに開けると、そこには総勢五名の六条院家に連なる者たちが揃っていた。
「おかえり、基。どうやった?」
 全開の出窓に腰掛けていた郁が、主語を省いて問うのに、基は苦笑を浮かべて頭を振る。その様子に、全員が同じく苦笑いになった。
「せーっかく姫さんまで出てきたのに、無駄足だったなー」
 だらしなく椅子に跨って背もたれに寄りかかり、茶化すような言葉を吐く亨だったが、郁はさして残念そうでもなく窓の外の森に目線を遣った。
「そうでもないやろ。一応面倒くさいヤツは還したし、横木君に宗家をちょっとは知ってもらえたやろし」
 そこまで言って、郁はくるりと振り返るとさも楽しそうに好戦的な笑みを浮かべる。
「それに――」
「『目星』はついたし?」
 郁が言い終える前に、尚志が言葉の先を読んで繋げた。それに郁は一瞬驚いたものの、すぐさま目を細めて頷く。
「動いとるんは最低二人。どっちも大体見当ついた。あとは、こっちがどう動くかやけど……」
 郁が尚志にもう一度視線を送ると、尚志は心得たように笑みで応えた。それを確認すると、郁は基、茉莉と順に視線を巡らせる。
「基、しーちゃん復活するまで横木君頼むわ。自分が一番適役やろ」
「了解」
「茉莉は引き続き基のサポート」
「承知しましたわ」
 了承する基と茉莉に、郁はそれまで張り詰めていた空気をふっと解いて微笑んだ。さきほど見せたものとは違う、柔和で神秘的な笑みだ。
「ええ加減、終わらせてあげんとね。宗家と、『嫦宮裂(ジョウクウザキ)』の関係を……」
 微かに憐れみを含んだ声はとてもささやかなものだったが、どこまでも静かで、どこまでも澄みわたり、その場にいた者たちの耳にもしっかりと届いていた。

参 疑惑 [了]
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