禍つ月映え 清明き日影

章之壱 清輝に惑う

参 疑惑 [05]

「横木君と宮崎君は仲がいいんだね」
 輝行たちのやりとりを見て、郁が微笑ましそうに会話に加わってきた。
 当然、隼人がそんなチャンスを放っておくはずがない。真っ直ぐに郁に向き直ると、大胆にもその細い両手を握り締めた。
「ええ! はい! 大親友です! でも、おれは郁さんの為ならばその友情すら捨てます!」
「おい、宮崎。その手は何だ、その手――」
「痛っ!」
 基が全てを言い切る前に、隼人の手の甲を何かが弾いた。何がぶつかったのかはわからないが、その痛みに隼人は顔をしかめる。
「……気安く、姉様に触らないで下さいましね」
 鈴を転がすような声音とともに、にっこりと日本人形のように整った笑顔が隼人へと向けられた。
 その横で基は困ったように大きくため息をつく。隼人の隣の基の姉も苦笑とともに肩を竦めた。
「コラコラ、茉莉。これくらいのことで怒っちゃダメでしょ」
「あら、姉様。私は兄様の代わりに申し上げただけですわよ? 兄様がこの場にいらっしゃったら、この程度のことでは済まないでしょう?」
 美少女二人の会話に、またも輝行と隼人は絶句した。この茉莉と呼ばれた少女も、基と兄弟なのだろうかという疑問が生じる。
 しかし、思わず見比べた輝行の視線に気づいて、基がすぐさま訂正をした。
「ああ、勘違いするなよ。コイツは親戚。昔から一緒にいるから確かに妹みたいなモンだけどな。ついでに極度のブラコンでシスコン」
「基兄様には言われたくありません」
「どっちもどっちでしょ」
 呆れたように笑う基に、茉莉は拗ねたように愛らしい頬を膨らませる。そんな二人をからかうような、けれど見守るような優しい眼差しで見つめる郁。言葉の通り、三人はまるで兄弟のような雰囲気を醸し出していた。
 そうして、今度は茉莉も含む五人で話が弾んでいたのだが、輝行は常に隣の織月が気になっていた。
 自分たちばかりが会話が盛り上がっているが、織月には傍に話すような人もいない。だからと言って強引に話に巻き込むわけにもいかないので、気にはなるのだが何もできずにいた。
 いつもなら強引に隼人辺りが話に巻き込みそうなものなのだが、どうやら今回は郁を前にして舞い上がっているらしい。余計なことを言われないのは助かるのだが、織月が居心地の悪い思いをしているのではないかと心配になってきた。
 そんなことを考えていると、いつの間にか列が進み、とうとう基たちのペアが肝試しへと出発する番となる。
「じゃあ、行ってくるよ。途中で隠れておまえら待っててやるから」
「兄様、そういうことは黙っていた方が効果的なのではないですか?」
「あ、そうか」
 どこまで本気なのかわからない基と茉莉の会話に笑いながら、輝行たちは出発を見送った。
 人数が二人減ったことで、一気にその場が静かになる。出発地点に残っているのは、輝行たちのペアと、隼人たちのペア。そして出発を知らせる役目の男子部長と一応目付役の顧問・芦田だけ。
 部長は時計と携帯片手に出発したペアの進み具合を確認したりしていて、なかなかに忙しそうだ。反対に芦田はというと、芝生に座って煙草を吸いながら新聞を読んでいる。とりあえず監督しなければいけないという理由だけでこの場にいるようだった。
「それにしても、彼女おとなしいね」
「え?」
 不意に郁が触れた話題が誰のことを指すのかが一瞬わからなかった。しかし、『彼女』と表現される人物はたった一人しかいない。
「ごめんね、うるさくして」
「あ、い、いえ。別に、大丈夫です……」
 突然話しかけられた織月は、戸惑いも露わに首を振る。意外に人見知りなのか、それとも演技なのか、困ったように俯いてしまった。
「可愛いなぁ。そんなに怯えなくても取って食ったりしないよー?」
「そ、そんなこと思ってません」
 頬をほんのり赤く染め、ますます表情を隠すように顔を伏せる織月に、輝行は少々意外なものを見た気分でいた。
 戻士としての彼女はいつも毅然としているし、学校で見る姿は大人しくしてはいるものの物怖じしている様子はない。
 まるで自分に告白してきた時のようだと考えついた瞬間、慌てて自分の思考を振り切った。今から二人きりになることはわかりきっているのに、そんな話を思い出してしまうと妙に意識してしまう。
 けれど、そう思ったものの一度思い出してしまうとなかなかあの告白シーンが頭から離れなくなってしまった。
「次、二十七番出発!」
「はい」
「え? あ、はい!」
 織月がほっとしたように歩き始めるのに、輝行は我に返って慌ててそれに続いた。
 森の入口で男子部長からろうそくと雰囲気を出すためなのか提灯を渡される。提灯とはいっても、中はろうそくではなく小さめの電球が入っていて、途中で消えたりはしないものだった。
 隼人の頑張れよという声援に、何を頑張るんだと心の中でつっこみつつ歩き出す。郁は気を付けてね、と小さく手を振っていた。
 森の中は暗く、提灯のぼんやりとした明かりではかなり心許ない。しかし一応道らしきものがある為に、足場はさほど悪くはなかった。ただ、風にガサガサと揺らされる葉擦れの音が妙に落ち着かない気分にさせる。
 スタート地点から十分に離れた辺りで、織月が先に口を開いた。
「先輩、これから先は警戒しながら進んでくださいね」
「わかってるって。それにしても、さっきは各務には珍しくかなり困ってたみたいだな」
「そ、それは……」
 織月が輝行の指摘にまた少し困ったように口籠る。
「あー、あれか? 基先輩のお姉さんみたいなタイプが苦手だとか?」
「そんなんじゃないです。ただ、間近で見ると本当に綺麗な方なんで、緊張するというか」
「ま、半端じゃなく美形なのは確かだな」
「宮崎先輩、完全に舞い上がってましたしね」
 織月が隼人の有頂天ぶりを思い出したのか、くすと小さく笑った。
 輝行はそれに疲れたように大きなため息を吐く。美少女の為ならば友情など捨てるとあっさり言い捨てられると、さすがに少々切なく感じたのだ。友達甲斐のない奴だと思いつつも、気持ちを切り替えて昼休みの話をすることにした。
「で、昼の話の続きだけどさ」
「はい。例の能力を持つ者のことを、『送魂師(ソウコンシ)』といいます。能力的に言えば、戻士と非常に近い力を持っています」
「戻士と? じゃあ商売敵みたいなもんなのか?」
「まあ、単純に言えばそうですけど」
 輝行の短絡的な思考に織月は一瞬苦笑めいた表情を見せつつ、すぐに表情を改めた。
 そこには、今までに見たことないほど厳しさが漂っている。
「以前お話しした時、戻士は摂理に反することは行わないと説明しましたよね」
「ああ。でも、摂理に反しても、大したペナルティはないって……まさか?」
「そうです。送魂師とは、摂理に反することも平気で行う『元戻士』のことなんです」
「じゃあ、あの虫が出てきたのは……」
「門の能力を持つ送魂師が、日隅を作りだしたものと思われます」
 ざわと、風が鳴る。同じように、輝行の心の奥にも、ざわめきが生まれた。
「そもそも、最初に先輩が襲われた時からしておかしかったんです」
「え?」
「あの空き地の日隅と路地は、先輩が襲われる数日前に、亨が宵子さんからもらった封咒で封じていました。本来なら、一般人からは路地自体が見えなくなっているはず。なのに、先輩は迷い込んでしまった上に、獣魔から襲われた」
 そこまで聞いて、輝行はようやくあの日の織月と亨の態度に納得がいった。
 いるはずのない場所に、自分はいたのだ。そして、いるはずのない獣魔に襲われた。二人に訝しまれて当然だったのだ。
「じゃあ、あれも、送魂師が封じてあったものを解放したってことか?」
「その可能性が非常に高いです」
 神妙な面持ちで織月は頷いた。その横顔を見つめながら、輝行は頭の中で情報を整理する。が、いくら考えてもいまひとつ腑に落ちない。
「あのさ、その空き地の件だけど、送魂師がやったんだとしたら、何の為に解放したんだ?」
 織月に問い掛けてはいたが、心の中では何となく答えの予想はついていた。ただ、予想はついてはいても、その理由がよくわからない。そして、理由がわからないからこそ、不安が増していった。
「目的は多分……」
 織月が先の言葉を躊躇う。その時点で、自分の予想は確信へと変わった。
「はっきり言えよ。今更何言われても多少のことじゃ動じねぇから」
「多分、先輩です。初めから、先輩を狙っていたんだと思います」
 やっぱり、と溜め息混じりの呟きが零れる。と同時に、納得できる理由も当然聞きたくなった。
「で、その理由は? 送魂師がオレみたいな一般人狙って、何かメリットがあんのか?」
「それは、……今はお話しできません」
「何でだよ!」
 肝心な部分でだんまりを決め込む織月に、思わず声を荒げてしまう。だが、織月の表情は常と変わらず淡々としていた。
「まだ、確信を持ってお話しできる段階ではないんです。けれど、近いうちには必ず」
 近いうちとはいつなのかと詰め寄りたい気分ではあったが、輝行は辛うじてそれを抑えた。問い詰めたところで、きっと織月は話さないだろう。確固たる意志が、その表情から読み取れた。
 互いの間の空気が、一瞬で重くなる。他の話題に変えでもしないと、この気まずさは払拭できないかと考えかけて、ふと輝行は些細な疑問が浮かんだ。
 それは織月の髪と瞳の色のこと。戻士としての織月と会ったときは、必ず完全な銀髪と紫眼だった。そのことが、今になって不思議に思えたのだ。
「なあ、各務の髪と目の色って、どうなってんだ?」
「え? ……ああ」
 突然の話題転換に一瞬取り残されたような織月だったが、すぐに質問の意図を解したようだった。
「戻士の中でも、魔や妖の戻士は特に血が濃いとされています。なので、そういった戻士の多くは能力を使う際に髪や瞳の色が変わるんです」
「へえ、そういうもんなのか」
「なので戻士といっても亨は何も変わらなかったでしょう?」
「ああ、確かに。でも各務以外に、そういう人っているのか?」
 織月が答えようとした瞬間、何かに気づいたように言葉を飲み込んだ。それと同時に足を止め、輝行を背に庇うようにして立つ。
「……先輩、下がって下さい」
 織月の警告の声と同時に、生温かい風が輝行の顔を撫でて吹き抜けた。同時に肌が粟立つような感覚を覚え、自然と体が後退する。
 織月が先にある澱んだ闇を睨みつけると、そこにぼんやりとした人影のようなものが現れた。
 ゆっくりと近づいてくるそれは、確かに人間の女性の形を取ってはいるのだが、輪郭はひどく朧げであやふやだった。背後に見える景色が透けて見えることからも、明らかに人間でないことがわかる。
 見た目が人間のようだからこそ、かえって禍々しく感じた。
「な、何だよ、コイツ」
「妖、ですね」
「妖って……!」
「走りますよ」
 言うが早いか、織月は輝行の腕を引いて促した。そのまま並んで走りながら、輝行は疑問を織月にぶつける。
「どうする気だよ!?」
 妖は織月の――魔の戻士の力では対処できない。ということは、今は逃げるしかないのだろう。だが、簡単に逃げられるとは思えなかった。
 初めて遭遇する妖の存在は、一言でいうとおぞましい。一見存在感が希薄だが、それにもかかわらず、向けられる感情のようなものが、魔よりも強く生々しかった。
 本来なら体で包まれて隠されているはずの感情や想いが剥き出しだからだろう。感情そのものの塊。隠すことも憚ることもない、もっとも素の部分の、結晶のようなもの。それが妖だった。
「できる限りのことはしますよ」
「できる限りって……!」
 そう叫んだ瞬間、不気味な気配が濃度を増したように感じた。それは吐き気を催すほど醜悪な空気。妖が攻撃を仕掛けようとしていた。
 それに応じて織月は自らの胸元から銀色のプレートのついたネックレスを取り出し、素早く外した。一瞬で髪が銀色に輝き、瞳が紫暗の光を宿す。
「『月虹(ゲッコウ)』」
 織月が小さく呟くと、その右手には白銀に輝く三日月形の刃――『月虹』が現れた。それを追ってくる妖に向かって投げ打つが、無情にもその体をすり抜け、そのまま弧を描いて織月の手に戻ってくる。月虹は対魔専用に作られている為に通用しないのだ。
 チッと微かな舌打ちが洩れるが、そうしている間にも妖の右手の爪が二十センチほども伸び、織月の顔面に向かって繰り出された。背後に飛んでかわすが、今度は左の爪先が襲ってくる。咄嗟にもう一つの武器である小刀を召喚し、その爪先を弾いた。
 妖が織月の反撃に一瞬怯む。少し警戒するように距離を置いた。
「先輩、今のうちに先へ行ってください」
 妖から視線を外さぬまま、織月は言い放つ。
 輝行は妖の禍々しい気配にあてられていたが、織月の一言で我に返った。
「先にって、おまえ置いて逃げるわけにはいかねぇだろうが!」
「そんなこと言っている場合ですか! 私には妖を倒すことはできないんですよ!?」
「でも――!」
「先輩がいる方が戦いづらいんです!」
 足手まといだとはっきり告げられ、輝行は反論する力を失う。確かに輝行を庇いながら戦うのは、ただでさえ厳しい戦況をますます悪化させることにしかならなかった。
「先輩の足なら、前のペアに追い付くのもすぐでしょう」
 様子を窺っていた妖がふらりと動き出し、またも織月に襲いかかる。それを小刀で応戦しながら、織月は早く、と輝行を促した。輝行はその声に追いやられるように走り出す。
(情けねぇ)
 暗い森の中を駆け出しながら、輝行は悔しさを噛みしめていた。自分よりも年下の女の子が命懸けで闘っているというのに、自分は何と無力なのかと。ただ逃げることしかできないという、無様さに腹が立つ。
「先輩! 避けて!」
 突然背後から投げかけられた声に振り返ると同時に、輝行は転びながら凶刃から免れた。
 目の前には、先ほどの妖の姿。しかし、視線を織月に向けると、今なお彼女も妖と対峙していた。
 まったく同じ姿の妖が二体。

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