禍つ月映え 清明き日影

章之壱 清輝に惑う

参 疑惑 [04]

「悪かったな、引き留めて」
「いえ」
 基がそう笑いかけるのに、織月は少し緊張したように頭を下げる。そのまま基はじゃあなと言い残してその場を去った。幸運なことに、当初望んでいたような織月と二人で話せる機会の到来だ。
 ただ、やはりここは誰もが利用する廊下。他の部員やスタッフに見つかっても全くおかしくのない状況だった。
「先輩、こっちに」
「え?」
 輝行が自分に用があるとわかったのか、織月が三階へと向かう階段の方へと促した。戸惑いながらも輝行は織月に続くしかなく、そのまま三階へと上がっていく。
 この建物の三階には合宿所のオーナーやスタッフが利用している部屋しかないはずだった。けれど織月は躊躇うことなくその三階のある部屋のドアを開け、その中へと入り込む。
「お、おい、各務……」
「大丈夫です。ここは亨の部屋なんで」
 短く説明する織月に、輝行はようやく納得してその部屋の中に踏み込んだ。
「話は、今日のオリエンテーションのこと、ですよね?」
 輝行が話し合おうとしていた内容を織月は予測していたのだろう。頷くと、すでに対策を用意していたのか、織月は淀みなく説明を始めた。
「とりあえず、くじ引きでペアを決めるという話ですので、何とか先輩と私がペアになるよう細工します」
「細工って、どうやって……」
「その辺りは何とでもなりますよ。協力者もいますしね」
 詳しい説明はないが、織月が大丈夫というのなら大丈夫なのだろう。そう思ってひとまず安心できる。しかし、
(各務とペアになったりしたら隼人がうるさいだろうな……)
 一つ問題が解決しても、また全く別の問題が起こるであろうことが、輝行にとっては大きな悩みの種だった。むしろ、こちらの問題の方が厄介にすら思える。
「でも、一つ心配なのは、肝試しの通過地点ですね」
「通過地点?」
 肝試しのルートは、毎年変わっている。その年の三年生が話し合って決めるのだ。
 それを昼間のうちに顧問に確認してもらい、安全性の面でOKをもらえたら決定となる。輝行はまだそのルートについて知らなかったが、どうやら織月は誰かからその情報を手に入れていたらしい。
「ここの建物の西側に、森がありますよね」
「ああ」
「その森の入口から出発して、森の奥にある社にロウソクを立てて火をつける。それからそのまま来た道とは違う道を通って、合宿所の裏手辺りに戻ってくるというやり方らしいです」
「森の奥の社?」
 基に言われていた社のことだとすぐに察しがついた。それと同時に、何となく嫌な流れに話が向かっているような気がする。
「ええ。その社ですが、どうやらあまりいいものではないと聞きました」
 織月の説明に、輝行は思わず否定の言葉を吐きそうになった。しかし、寸でのところでそれを無理やりに飲み込む。

『敵は、案外近くにいるようだ』
『いくら信用できると思っている人物でも、気を許すな』

 亨から受けた忠告の言葉が、頭の中を巡る。それと同じく思い浮かぶのは、基が垣間見せた、冷たい瞳。
 よく考えれば、あの時の基の話も少し妙なのだ。あの社には何もないと、妙にきっぱりと言い切った。そんなこと、『特別な能力』でもない限り、わからないことのはずなのに。
(もしかして、基先輩は戻士や魔のことを知ってる?)
 輝行自身、未だに異形に対する知識は少ない。実際に魔と遭遇したのは二回だけ。妖に関しては説明を聞いただけだ。
 そもそも、輝行にとって敵とは何なのだろうという疑問があった。魔や妖が敵というのはわかるのだが、亨の口ぶりからはそれだけではない雰囲気が漂っていたように思えた。
「なあ、各務」
「なんですか?」
「亨さんに言われたんだけど」
「亨に?」
 いつの間に二人で話をしていたのだろうとでも思っているのか、織月は少々驚いたように聞き返す。
「正確には、常磐さんからの伝言らしいけどな。『敵は案外近くにいる』って、どういう意味だと思う?」
「敵が、近くにいる?」
 予想外に、織月が不審そうに眉を顰める。どうやら亨の口にした忠告は、織月の耳には入っていなかったらしい。
「各務は聞いてなかったのか?」
「ええ。残念ながら。けれど、それは……」
 話に思い当たる節があるのか、織月は考え込むように口を噤んだ。しばらく考えた後、思いきったように口を開く。
「先輩、前に学校で魔蟲の大群に追いかけられたこと、覚えていますか?」
「ああ。アレだろ? 廊下が延々続いてた時の」
「そうです。その廊下が延々と続いてたことも、あの虫たちが召喚されたことも、実は魔ではなくある能力を持つもの仕業だと思われるのです」
「ある能力って、戻士とは――」
 輝行が訊き返そうとした瞬間、ピピピピッと電子音が響き渡った。輝行のはめていた腕時計のアラームだ。
 それに促されるように織月がベッドに備え付けの時計に目を向ける。どうやら昼の自由時間の終了五分前を知らせるアラームだったらしい。
「ああ、もう集合時間ですね。話の続きは肝試しの時にでもしましょうか」
「……わかった」
 本当は気になるところで話を止められてしまうのはかなり不満が残るのだが、練習時間になっては仕方がない。それに輝行だけでなく、織月も練習に戻らなくてはいけないのだ。二人揃って姿を見せないとなると、これまた何を勘繰られるのか堪ったものではなかった。
「先輩、お先にどうぞ。私は少し時間空けてから行きますから」
「悪いな。んじゃ、また後で」
「はい」
 織月の気遣いに素直に甘え、輝行は先に亨の部屋を後にした。
 一、二分空けて出ても走れば間に合うなと計算しながら、織月は輝行が亨から聞いたという言葉を思い出す。
「一体、誰が……」
 様々な方向から今までの件を検証しても、明らかに輝行を狙う敵を特定できる材料が少ない。
 諦めるように軽くため息をつくと、織月は亨の部屋を出て、午後からの練習の集合場所へと向かった。



 陽が完全に山影へと身を隠し、暗闇が重く澱む。
 午後の練習も終えたあと、夕食と後片付けを済ませた者から、徐々に西の森の入り口へと集合し始めていた。
 そんな中、輝行は集まっている人の群れの中に予定外の人物が混じっていることに気づいた。亨をはじめとする、合宿所スタッフの面々だ。もちろんそこには基や郁も含まれている。
(何で……)
 違和感がじわりと湧き出した。そしてまたも亨の残した言葉が頭に浮かぶ。
 しかし、不思議なことに亨と基はとても仲が良いように見受けられた。今も二人並んで何やら話しているのだ。
(亨さん、わかっててなのか? それともやっぱり基先輩は関係ない?)
 頭の中で思考が絡まり合い、縺れ合う。
 基は敵なのか、そうでないのか。亨がわざわざ忠告を寄越したということは、彼も基を怪しんでいるからなのか。それとも、もっと他にも注意すべき人物がいるというのだろうか。
「テル、くじ引けって」
「え? あ、ああ」
 考え込んでいた輝行の肩を、隼人が叩いて促す。いつの間にやら部員はほぼ集合し、ペアを決めるためのくじ引きが始められていたようだった。
「なあ、隼人。基先輩たちも参加すんのか?」
「ん? ああ、そうみたいだぜ。何か、三年の女子がみんなして基先輩誘ったんだって。んでせっかくだから、今年は他のスタッフも参加したらどうかって話になったらしいぞ」
「あー、まあ、気持ちはわからんでもないか」
 隼人の説明を聞いて納得はした。
 基はもともと人気があった上に、他のスタッフも美形揃いだ。他のスタッフとは最初は誰もが少し距離を置いていたが、実際接してみると、誰もが親しみやすい人柄だった。日が経つにつれ少しずつ会話も発生するようになっていたこともあり、これを機会に一気に仲良くなろうと考える者たちも出てきたのだろう。
「そんなことよりテル、わかってるからなっ」
「は? 何が?」
 突然声のトーンを下げて囁く隼人に、輝行は本能的に嫌なものを感じた。口元を少しニヤつかせている隼人は、きっとろくでもないことを言い出すと決まっているのだ。
「ペアだよ、ペアっ。ちゃんと各務となるようにしてあるからなっ」
「なるようにしてあるって、おまえ一体何を仕込んで……」
「いいからいいから。とりあえずクジ引いてこい!」
 ドンと思い切り背中を附き飛ばされ、輝行はつんのめった形でクジを持つ部長の前に飛び出した。
「横木もまだか? 早く引けよ」
「あ、はい。すみません」
 部長に促されるまま、輝行は目の前に差し出された紙袋の中に手を突っ込み、中から一枚選び出す。
 その様子を少し離れた場所から祈るように見守っている隼人が、少々鬱陶しかったが気にしないことにした。取り出した紙切れを開くと、中の数字は『二十七』。順番的にはかなり後の方だ。紙自体には何の変哲もなく、どこかに細工されたようにも見えない。
(これで本当に各務とペアになるのか?)
 疑問を覚えた輝行だったが、隼人が何かしなくても、織月側で何か仕組んでいるらしいと聞いている。どのみちと織月はペアになるのだろう。
 それならたとえ隼人のおかげでペアになったのでなくても、「隼人のせい」ということにしておけば、変に勘繰られることもない。かえって助かるのだと結論付けた。
「んじゃ、順番に番号呼んでくから、番号順で並んでいってねー!」
 女子部部長が大きな声で声を掛け、その後に男子部部長が番号を呼び始めた。
 一番から順に、呼ばれた男女が一喜一憂しながら列をなしていく。毎年行われる肝試しでカップルが成立することも多いらしく、目当ての相手がいる者にとってはなかなか切実な問題なのだろう。
 そんな風に他人事のように思いながら、輝行は自分の番号が呼ばれるのを待った。
 しかし、当然遅い番号なので、なかなか順番が回ってこない。
「テル、何番だったんだ?」
「二十七。隼人は?」
「あ、俺その次だ」
「よかったな。まだ美少女コンビ残ってるぞ」
 まだ番号を呼ばれていない女子グループの中に、二人のスタッフが残っていることを示すと、隼人は会心の笑みを浮かべた。なんだかんだと言って、やっぱり諦め切れていなかったらしい。
「そうなんだよ! 特に俺は郁さんの方が好みなんだけどな!」
「ああ、基先輩のお姉さんか」
「は? 基先輩の? 全然似てないじゃん! 第一、名字が違うし」
「名字が、違う?」
 ざわりと、心の奥が騒ぐ。
「そうそう。名前訊いたら基先輩とは全く違う名字だったぞ? えーっと、確か、シノミヤ? シロヤマだったか? そんな感じ。だいたい、六条院なんて変わった名字だったら俺でも気づくって」
 隼人が呆れたように続けるのに、輝行は基から直接聞いたのだと反論する。基もそう言ったし、郁もそう言っていた。
「え、じゃあもしかしてもう結婚してるとか!?」
「あの若さでか? まだ大学生だろ?」
「だったら……、もしかして何かワケありかなぁ? ほら、確か基先輩の家って結構な名家らしいし――」
「二十七番!」
 話の途中で自分の番号を呼ばれて、輝行は慌てて返事をした。二十六番目のペアの後ろに並ぶと、その隣に並んだ人影にわかってはいても驚く。
 隼人の功が奏したのか、それとも織月の回した手が適切だったのか――もちろん、後者の可能性が断然高いのだが――やはり輝行のペアは織月になっていた。
 普段通り後輩らしく、よろしくお願いしますと頭を下げる織月に違和感を覚えなくもないが、輝行も当然常と変らない態度でこちらこそと返す。
「テル、テルっ!」
 真後ろから呼びかけられて振り向くと、キラキラと瞳を輝かせた隼人が、親指を立てて満面の笑みを浮かべていた。
 脱力感に襲われそうになるが、隼人が自分の功績を褒め讃えるためだけの笑顔でないことにすぐに気づく。隼人の隣には、何と先ほど噂をしていた郁の姿があったのだ。
 強運なのか、それとも自分の分まで隼人が何か仕組んでいたのかはわからないが、彼の喜びようから見ると特別に何か細工をしていたわけでもないのだろう。
「宮崎。姉さんに手出すなよ」
「え?」
 今度は前方からかかった声に、輝行は再度振り向いた。
 どうやら二十六番目は基で、その隣にはもう一人の美少女スタッフがいる。他の部員たちの思惑が見事に外れ、スタッフ同士のペアになってしまったらしい。
「やっぱり基先輩のお姉さんだったんですかー!?」
「やっぱりって何だよ」
「あ、いや、テルに聞いてたんですけど、似てないなーって思ったんで」
「直接血は繋がってないからね」
 隼人と基の会話に、さらりと郁が滑り込んだ。内容に似つかわしくない、妙に軽い口調に輝行と隼人は思わず声を失う。
「おいおい姉さん、すぐにそうやってヒトをからかうなって」
 笑み混じりの基の声で、二人は詰めていた息をほっと吐き出した。
「冗談、ですか」
「姉さんの言うこと真に受けるなってこの前言っただろ?」
「そうでしたね。忘れてました」
「一瞬地雷踏んだかと思っちゃったじゃないですかー!」
「宮崎は地雷原の地雷を全部正確に踏んでいきそうだもんな」
 一瞬の凍りついた空気はすぐに溶けて消え失せ、三人での会話は明るく騒がしいほどに盛り上がる。
 反対に、輝行の隣の織月はどこか緊張したような面持ちで沈黙を守っていた。いつも以上に織月が無口に感じたが、自分たちが騒がしい上に前後が親しい部員というわけではないのだからそれも当然だろう。

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