禍つ月映え 清明き日影

章之壱 清輝に惑う

参 疑惑 [02]

 ミーティングも無事終了した後、その日の昼食は合宿所のスタッフが用意してくれたものだった。
 合宿中の食事は基本的に部員が分担して作るのだが、初日の昼食だけは合宿所側が準備してくれることが慣例となっていた。到着してすぐにミーティングがあるため、食事の準備をする時間がさすがに足りないからだ。
 用意された昼食をセルフサービスで受け取る。その給仕の一端を担っているのは基を含めた合宿所スタッフだった。
「何だか今年はエラく美形ぞろいだなぁ」
 喜ぶよりも少々圧倒されたように隼人が箸を口へと運ぶ。その思いはどうやら他の部員たちも同じようだった。
 基は以前から知っているので今さら美形だと意識したりはしない。
 しかし、彼以外のスタッフが男女問わず揃いも揃って整った容姿を持っていた。そのスタッフたちと並んでも見劣りしない基は、結局のところやはり美形なのだという結論に至る。
「アレかぁ? もしかしてスタッフの採用基準は顔なのかぁ?」
 隼人が唸るように呟きつつ、給仕をしているスタッフへと視線を巡らせた。輝行もつられるように、観察する。
 ご飯をよそってくれているのは、スタッフの中では一番年下だろうと思われる少女だった。多分、自分たちとさほど年は違わないだろうと推察できる。
 艶やかな長い黒髪を高い位置でポニーテールにしていて、愛らしいぱっちりとした黒い瞳が印象的だ。やたら丁寧な言葉遣いがお嬢様然とした雰囲気を漂わせている。
 その隣で味噌汁を準備してくれているのは、黒髪ポニーテールの少女よりも少し年上に見える少女。明るい茶色に染めた髪をさっぱりとしたショートカットにしていて、快活そうに見えるのだが、その整った目鼻立ちは作りものかと思うほど完璧なバランスで配置され、間近で見ると思わず息を止めて見惚れてしまうほどだった。
 そんな美少女が二人並んでいれば、声を掛けることさえ躊躇われ、話す口調も自然と敬語使いになってしまう。
 女性陣だけでなく、男性陣もそれに遜色なかった。食堂の奥にいてあまり顔を出していないが、基と亨以外にもう一人、二十代前半の青年がいる。
 この青年は赤に近い茶色に髪を染めていて、左耳にはピアスが二つと、一見すると派手に遊んでいそうに見えた。しかし面と向かって相対すると、その切れ長の瞳の奥に見え隠れする理知的な光の為にむしろ切れ者であるような印象を与える。
 それに加え、去年の卒業生の中でダントツ人気だった基と、黙っていれば十分に端正な顔立ちをしている亨。隼人の望むように「綺麗なお姉さん」は存在したのだが、去年のような気さくな親しみやすいタイプではなく、思わず一歩引いてしまいそうなほどの美男美女のバーゲンセール状態だ。さすがの隼人も気後れしてしまったのか、遠巻きに見つめるだけだった。
 隼人でさえもそうなのだから、もちろん他の男子部員どもも何もできるはずがない。食事の最中もチラチラと様子は窺いつつも、結局話しかけようという者は誰一人いなかった。
「残念だったな、隼人。あんだけの美少女だったら、絶対に相手にされないだろうぜ?」
「それを言うなよー、テル。……ま、目の保養にはなるしさー」
 隼人には珍しく、そうそうに諦めをつけたらしい。茶化したつもりだったのだが、思った以上に隼人が沈んだ声音でそう返すのに、輝行は少々同情の念が湧く。仕方なく励ますように隼人の背中を叩いた。
「さ、飯食い終わったら自由時間あるし、気を取り直して遊ぼうぜ」
「そうだな! 今年は一年の女子に燃えるか!」
「……おまえ、立ち直り早すぎ」
 驚くほどの変わり身の早さに、輝行は同情した自分が馬鹿だったとがっかりせざるを得なかった。
 呆れる輝行をよそに、隼人は残っていたご飯を勢いよくかき込むと、その勢いのままにごちそう様と手を合わせる。
「ほら、早く食えよ、テル」
「あのな……」
「あー! おれ的一年生ランキング第三位の宇津木ちゃんが行ってしまう! テル! おれは先に行くからな!」
 そう言い置くと、隼人は輝行が言葉を発する間もなく食器の乗ったトレイ片手に行ってしまった。
「『おれ的一年生ランキング』ってなんだよ、おい」
 そんなものを作成しているのかと、隼人の残した言葉に突っ込むようにぼそりと呟く。隼人なら各学年のソレを作っていても不思議ではないと思えるのが少々悲しい。
 そう考えているのも馬鹿馬鹿しくなり、輝行は仕方なく残りの食事を平らげるのに専念することにした。
 と、輝行の目の前のテーブル上に、華奢な指先が見えた。誰かが、そこに片手をついたのだ。そのまま視線を指先から腕、そして顔へと辿っていくと、意外な人物に行き着いた。
「こんにちは。君が横木君でしょ?」
 屈託のない笑みを向けるのは、茶髪ショートカットの美少女スタッフだ。
 何故彼女が自分の名前を知っていて、しかもわざわざ声を掛けてくるのかわからない。けれどそんなことよりも、彼女が話しかけてきたということ自体に輝行は動揺し、上手く返事も返せなかった。
「あ、ごめんね。びっくりした? 君のことはね、基から聞いてたんだ」
「基、先輩?」
「そ。あの子、私の弟だから」
「……ええ!? 基先輩のお姉さんなんですか!?」
 そういえば先ほど基が亨に呼ばれたときも「姉さん」という単語を発していたことを思い出す。
 基とこの目の前の美少女が姉弟だとは思いもしなかったが、言われてみればこれだけの美形同士。血の繋がりがあるという方が自然に思えた。
「うん。六条院基の姉の(かおる)です。よろしくね」
「は、はぁ……」
 それだけ言うと、郁は踵を返そうとする。一体何なんだろうと呆気にとられていたが、輝行が我に返る前に郁は思い出したように振り返った。
「言い忘れてた。森の奥にね、古い社があるんだ」
「え? 社、ですか?」
「うん、そこには気をつけてね。それだけ」
「気をつけて?」
「ほなねー」
 疑問だらけの輝行に構うことなく、郁はその場を後にする。
(何なんだ、あの人)
 森の奥の古い社。それの何に気をつけろと言うのだろうか? 古いから壊れるかもしれないし、危険だとでも?
 しかし、そんな理由ならわざわざ輝行に言わず、顧問に伝えてほしいところだ。
「あー、もう!」
 どうとればいいのかもわからない言葉を残して去った郁に対する苛立ちを、何の意味も持たない言葉とともに吐き出す。輝行はグシャグシャと髪をかきまわすと、そのまま頭を抱えこんだ。
「最近よくわかんねぇヤツ多すぎ」
 郁も。そして、自分を守ると言った織月も。
 そんな輝行の様子を、幾つかの場所からひっそりと窺っている幾対かの瞳。
 新たなシナリオが静かに、だが確実に動き始めていた――。


「聞いてないんだけど……」
 昼食を済ませた織月は、自由時間にある部屋を訪れていた。
 その部屋は、この合宿所の三階にあるスタッフ専用の部屋の一つ。そしてそこにいるのは当然ながら、この合宿所でスタッフとして働いている亨だった。
「そりゃあ聞いてないだろー。言ってねーもん」
 不機嫌全開の織月の言葉を受けて、悪びれもせずに笑いながら亨は答える。相変わらずの脱力感満載の相方を織月は軽く睨みつけたが、亨のやる気ない態度がそれで改善された例はなかった。
「帆香は? 来てないの?」
「んー、来てるけど、あいつは裏方さんだからなー。近くの別荘で待機中」
「そう」
 織月は短く返事を返すと、考え込むように押し黙る。その眉間に深く皺が刻まれているのを見て、亨はケラケラと笑いだした。
「織月、そんな顰めっ面してたら、『憧れの君』に笑われるぞぉー」
「な……っ、『憧れの君』って……!」
「えー? だって、この合宿の間中、ずーっと同じ屋根の下にいるんだぞー? どこでそんな顔してるの見られたとしても、おかしくないだろー?」
 滅多なことでは動揺しない織月だったが、亨の一言はそれを簡単に覆す威力を持っていた。更に言い続ける亨に、頬を紅潮させ必死で言い返そうとするが、なかなか言葉が出てこない。
「織月はこういうとこだけ反応が可愛くなるよなー」
「うるさいっ。……それで、累さんは何て?」
 心底面白そうにからかいの言葉を吐く亨に、織月は何とか話の方向転換を図ろうと試みた。亨はこれ以上いじめるとあとあと自分が酷い目に遭うことは承知しているので、素直に話を切り出す。
「ここがどういう場所か知ってるか?」
「念が溜まりやすいとは聞いたけど」
「溜まりやすいというか、溜まってしまう元凶があるってことだ」
「元凶?」
「そう。森の奥にある社。ちょっと厄介なヤツがいるらしいわ」
 面倒くさそうに亨はセブンスターを取り出し、一本くわえた。愛用のシルバーのジッポーで火をつけると、オイルと紫煙の匂いが混ざって広がる。
 その煙草の匂いに一瞬織月は顔を顰め、逃げるように窓際へと向かい外気を取り入れた。窓の下には、自由時間を満喫している部員たちの姿がある。
「何でそんな場所に合宿所なんかが――」
「だから『あえて』、らしい。不思議なら要さんにでも訊いてみろよ」
 亨の提案に、織月はますます眉間に皺を寄せた。どうやら亨の言葉を不快に感じたらしい。
「そんなの軽々しくできることじゃないでしょ」
「そうか? あの人なら全然気にしないと思うぞ?」
「亨はもっと気にしなさいよ!」
「織月は気にしすぎだ」
 織月の注意に、亨は逆にはっきりと言い返す。
「あの人たちは祀り上げられたいわけじゃないって知ってんだろ?」
「知ってる、けど……」
 いつになく真面目な亨の口調に、織月の声は次第に弱まる。その様子に、亨はまた普段通りのやる気のない表情へと戻った。
「ま、おまえの性格が真面目すぎるのはわかってるけどな。もう少しおれを見習え」
「……亨なんか見習ったら、方々に迷惑かけすぎるじゃない」
「あー、まあ、そっかー」
 あっけらかんと笑う亨に、織月はため息を漏らす。
「社か。誰も近づかなければいいけど」
 窓の外に広がる景色に、織月は視線を彷徨わせた。建物の西側には鬱蒼とした森があるが、そのどこに件の社があるのかは見当がつかない。
 そんな織月の様子を、亨は考え込むように、ただ黙って見つめていた。


 深更。
 昼間はみずみずしい緑の葉を陽光に輝かせていた森も、暗闇の中に蠢く不気味な化け物のように感じる。新月の為に夜空には月もなく、遠くからこぼれてくる常夜灯の明かりも、この森を照らすには何の役にも立ってはいなかった。
 その森の入口近く。闇の中にさらに濃い闇をまとった人影が四つ固まっていた。
 四人のうち最も背の高い青年が、何かを感じ取ろうとでもするかのように、瞳を閉じている。その髪は明かりのない中でも淡く銀色に輝いていた。
 やがて、ゆっくりと双眸が開かれる。不思議なことに、その瞳は右だけが蒼い色を宿していた。
「思った通り、だな。わずかだけど騒ぎ始めてる」
 銀の髪の青年が小さく呟く。それにあとの三人が静かに頷いた。
「……それで、どうするつもりだ?」
 もう一人、赤茶けた髪の青年が銀髪の青年の隣に並び問い掛ける。それに銀髪の青年は妖しげに微笑み振り返った。
「別に、当初兄さんが立てた計画通りでいいよ」
「『兄さん』とか呼ぶなよ。不気味だな」
「不気味はないでしょ、不気味は。そのうち本当にそうなるんだから」
「その言い方がすでに嫌がらせだ」
 赤茶の髪の青年と銀の髪青年がちょっとした言い争いを始める。
 それを見ていた小柄な人影が呆れたように溜息をついた。長く艶やかな黒髪を揺らし、二人の間に割って入る。
「兄様方、いい加減にしておかないと姉様に叱られますよ」
 その声はまだ幼さを残す少女のもの。
 一番年が下であろうと思われる少女の言葉に、二人の青年は口をつぐむ。代わりに、もう一人の人影が口を開いた。
「……別に怒りはせんけどね」
 呆れ交じりの笑み声だ。しかし、その声音はどこか蠱惑的に響き耳に残る。
 声の主は腰まで届くほどの漆黒の髪に右目が紅、左目が銀髪の青年と同じ蒼という異相の女性だった。
「だよな。姉さんはオレたちに甘いし」
「それに関して否定はせんよ。でも……、ええんか?」
 紅と蒼の瞳の人物が、確認するように銀髪の青年を窺う。その表情は厳しさとともに案じるような色もみてとれた。
「自分の可愛い後輩やろ?」
「まあそうだけど、それとこれとは話が別だろ? 利用できるものは何だって利用するさ」
「さすが、いい教育してるな」
 何の気負いもない様子で答える銀髪の青年に、赤茶の髪の青年は口元を笑みで歪めて皮肉にも取れる褒め言葉を吐く。それに銀髪の青年はニッと笑みを返し、放り投げるような物言いで続けた。
「それにいい機会だから、自分の置かれてる状況を把握すればいいよ」
 重なる苦笑と微笑。
 その場にいるもの全てが、納得と合意を含んだ表情で視線を巡らせた。その先は、まだ新しい建物――陸上部が合宿所として利用している施設だ。
「さて、餌につられて上手く出てきてくれるかな……?」
 誰の呟きとも知れぬ声を最後に、彼らは音もなくその場を後にする。
 後にはただ、森の樹々の風にざわめく音だけが響いていた。

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