禍つ月映え 清明き日影

章之壱 清輝に惑う

弐 揺光 [04]

「は?」
「宵子さん」
「このお仕事請けて良かったわぁー! 目の保養よね、うんうん!」
「宵子さんっ」
 妙にテンション高く浮かれまくっているのは、先ほどまで淑女然とした空気を放っていた筈の宵子だった。立ち上がって織月の手を握り、和服姿にも関わらず飛び跳ねている。
 織月はそれに呆れたように溜め息をつき、累はそれを楽しそうに傍観していた。
「あら、ごめんなさぁい。予想以上でテンションがっつーんと上がっちゃったわ」
「テンション上げるのは結構ですけど、仕事はちゃんとしてくださいね」
「わかってるわよぉ。他ならぬ織月ちゃんのお願いだもの」
 一気に第一印象を覆した宵子に、輝行は呆然とするばかりだった。
 そんな輝行の様子に、織月は宵子の手を振り払いながら、申し訳なさそうに苦笑を浮かべる。
「すみません、先輩。この人、いつもこんな感じなんで、適当に流してくださいね」
「あ、ああ」
「織月ちゃん、ちょっとその言い方冷たぁいー」
 少し拗ねたように抗議する宵子だが、織月はそれを黙殺した。
「じゃあ、改めて紹介しますね。符咒師の草薙(くさなぎ)宵子さんです」
「え? スルーなの? 何もないの?」
 構って欲しそうな宵子に、織月はまったく目もくれない。
 輝行は何か声をかけたほうがいいのかと迷ったが、織月の表情が相手にするなと訴えていたため、宵子の様子を気にしつつも素直に従い、織月の話だけを聞くことにした。
「この人が、この間言ってた符咒師?」
「うっ、二人して……」
「そうです。こんな性格ですが、腕は確かですよ」
「織月ちゃん、昔は宵子さん宵子さんって、懐いてくれてたのに……」
「先ほどの蝶も、ハンカチに咒を書いて、先輩の居所を探ってもらったんです」
「いいもんいいもん。宵子、拗ねちゃうもん」
「でも、草薙さんはオレのこと知らないのに?」
 会話している間にも、宵子は恨みがましくずっとブツブツと呟いている。そして、織月の表情がそれに比例して険しくなっていくのに、輝行は危機感を募らせていった。
「それは……」
「輝行君の封咒だってやっぱりあげないもん。んでもって、沙織ちゃんに、織月ちゃんが累くんところに入り浸ってるってチクっちゃ――」
「宵子さんっ!」
 宵子のしつこい恨み言攻撃に、とうとう織月が怒りの声をあげた。しかし、当の本人は、「やっとこっち向いてくれたぁ」などと無邪気に笑っている。どうやら累とはまた違った意味で厄介な性格をしているようだ。
「人が真面目に話してる時に!」
「だってぇ、そんなお話つまんないでしょう?」
「つまる、つまらないじゃなくて! 先輩はまだ知らないことがたくさんあるんです! それを説明してるのに邪魔ばっかり……!」
「まぁまぁ。そんなに怒ってばかりだと、せっかくの可愛い顔が勿体無いわよ? ねぇ? 輝行君」
 常に淡々としてる織月の剣幕に驚かされていると、何の前触れもなく宵子が輝行に話をふってきた。思わず勢いで、輝行は、
「あ、はい」
 そう頷いて、すぐさま話の前後の流れに気付く。
「え? あ、いや! そうじゃなくて!」
「あら? 織月ちゃんのこと、可愛いと思わないの?」
「いえ、その!」
「宵子さん!」
 宵子の問題発言に、輝行は慌てふためき、織月はますます顔を紅潮させて怒り出す。
 端からその様子をじっと見ていた累は、とうとう堪えきれないようにクックッと喉を鳴らして笑いを洩らした。
「宵子、そのくらいにしておいたらどうかな?」
「ふふっ、そうねぇ。一通り楽しんだことだし」
 累の笑み混じりの制止に、宵子はようやく気が済んだといわんばかりにソファーに座り直す。ローテーブルに置かれたお茶を優雅に口元に運ぶ様は、初見のイメージと全く相違なかった。
 すぐ側で、ガックリと項垂れた織月が、疲れきったように盛大な溜め息を落とす。
 しかし、すぐに気を取り直し、同じく疲れてしまっている輝行に、空いている二人掛けのソファー――つまり、宵子の隣を勧めた。
「少々嫌かもしれませんが、我慢してくださいね」
「織月ちゃん、どういう意味?」
「言葉通りです」
 輝行は一瞬ためらったが、累の隣よりはマシと判断し、少し宵子と距離を置くように腰を下ろす。輝行が座るのを確認してから、織月も累の隣に腰を落ち着けた。
 皆が座るのを見計らったかのように、宵子がソファーの端に置いていたバッグを開ける。いかにも着物に似合いそうな、正絹で作られた小振りなバッグ。そこから取り出されたのは、鮫小紋の袱紗に包まれている何かだった。
「織月ちゃんと同クラスの物、で良かったわね?」
 言いながら、宵子は袱紗ごとテーブルの上にコトリと置いた。音から察すると、重くはないが硬い物が入っているようだ。
「助かるよ、宵子」
「これもしずきちゃんの為ですもの」
 宵子の浮かべた微笑に、微かに愁いが滲む。
 織月がほんの一瞬、息苦しそうに悲痛な表情を見せたのを、輝行は見逃さなかった。
 けれど、それを問うこともできず、そんな間も、ない。
「輝行君、左手を出してくれる?」
「左手、ですか?」
「そうよ」
 請われるまま左手を差し出すと、宵子はその手首を軽く握った。そのまま目を瞑り、小さく何ごとかを呟く。その間に累は袱紗を広げ、中に包まれていた桐の箱を開けた。
 箱の中に入っていたのは、三十センチほどの紐状のもので、一見するとミサンガのような糸か細い布を編み上げたものだった。色はカラフルで、青、紫、赤、黄、緑などが使われている。
 それを累が宵子のほうに差し出すと、宵子は目を閉じたままで受け取り、輝行の手首に巻いた。しっかりときつく結ぶと、宵子は目を開け、手を放す。
「これが封咒、ですか」
「そうよ。夕方や明け方のような微妙な時間なら、この封咒があれば問題ないはずよ。完璧なものはもうちょっと待っててね。ごめんなさい」
「あ、いえ……」
 少し申し訳なさそうに微笑む宵子に、輝行は何と返していいのか、言葉に窮してしまった。
 確かにより完全な効果をもたらしてくれるものの方がありがたい。けれど、無償で力を貸してくれている宵子に、早くしろと急かすことなどできるはずがなかった。
「織月から離れないようにとは言ったが、実際どんな時でもついてあげられるわけじゃないからね。出来る限り、夜に一人にならないことに関しては引き続き気をつけてもらわなければいけないけれど」
 更に累がそう続けて説明するのに、輝行は黙って頷いた。
 累に対しては未だに不快感のような感情は抱くが、それでも助けてもらっていることには変わりはない。
 そんな輝行の心情も読んでいるのか、累はふっと微笑を浮かべ、「それから」と言葉を継ぎ足した。
「これも渡しておくよ」
「……それは……」
「護身用だよ。いざという時の為に、ね」
 累が差し出した物は、どこからどう見ても『短刀』と言われる類のものでしかなく、輝行は思わず眉を顰める。累は構う様子もなく、輝行の真正面にその短刀を置いた。
「そんなもん持ち歩いてたら、オレが警察に捕まると思うんですけど」
「その心配はないよ。持ってみればわかる」
 累の意味深な笑みに訝しみつつ、ローテーブルに置かれた短刀に輝行は手を伸ばす。
 そして、その鞘に触れた瞬間、「あっ」と反射的に小さな驚きの声を洩らした。
「消、えた?」
 つい数瞬前までその場にあったはずの短刀は、忽然と姿を消していた。一体どこに消え失せたのか、全くわからない。
 まるで手品でも見ているような気分だが、明らかにそれに作用を加えたのは自分自身なので、ますます輝行には不思議でならなかった。
「君がそれを必要だと思ったときに、銘を呼べばそれは現れる」
「オレが、必要な時」
「それはそういうものなんだよ。銘は『揺光(ヨウコウ)』」
 笑みを伴いながら続ける累の言葉に、今度は織月が驚きと動揺の混じった視線で振り向く。
「累さん、それは――!」
「大丈夫だよ。『持ち主』には了承を得ている」
「そう、ですか」
 柔らかな笑みで返された答えに、織月はすぐさま感情を収め、いつもの冷静な表情へと戻った。
 二人の様子を疑問に思いながらも、輝行は消えてしまった『揺光』の行方を探すかのように、自分の手の平を見つめる。けれど、幾ら見つめても、消えてしまった物体の行方はわからなかった。
「さて、重要な用件はこれで終わりだ。あとは二十四日から始まる合宿の件だが」
「それは私の方から説明しておきます」
「そうか。では、横木君、ご苦労様だったね」
 累がその場を締めるように寄こした言葉で、輝行は用件が終わったと理解した。立ち上がり、宵子の方に向き直って頭を下げる。
「草薙さん、ありがとうございました」
「あーら、いいのよ。可愛い男の子の為なら、何だってやっちゃうから」
 宵子の返答に苦笑を返し、輝行は織月に視線を向けた。それを受けて、織月も静かに立ち上がる。
「では累さん、家まで先輩を送ってきますので」
「うん。気をつけて」
「はい。先輩、行きましょうか」
 短く促す織月に従って、輝行は織月と共に応接室を後にした。
 後に残されたのは、累と宵子の二人だけ。
「……本当、厄介な子を拾っちゃったわね、織月ちゃん」
 宵子がため息混じりに二人の出て行ったドアを見つめながら呟いた。その物言いは相変わらずのんびりとしているが、表情にはどこか厳しさが漂っている。
「確かに厄介だが」
「厄介だけど?」
 口元を笑みの形に歪めて、累は立ち上がり窓際に近づいた。眼下には、マンションから出てきたばかりの織月と輝行の姿がある。
「彼は『使える』よ」
 何か企むような累の表情に、宵子は何かを言おうとして、突然鳴り響いた電子音に阻まれた。累のポケットに入っている携帯電話の着信音だ。
 累はそのディスプレイに刻まれた名に、いつになく笑みを深くして応える。
「……珍しいね。『姫』の方から連絡をくれるなんて」


 常磐事務所を出て、二人はまっすぐに輝行の家に向かうのではなく、近くにある公園に足を向けた。道すがら話すのでは落ち着かないと輝行が言い出したからだ。
 まだ日が暮れるには早い時間であると言うこともあって、織月も了承し、木陰にあるベンチに腰を下ろした。
「合宿中、やっぱり夜は各務と離れて行動しない方がいいんだよな?」
「そうですね。出来る範囲で、ですけど」
 その答えに、輝行は思わず不便だなと零し、織月のすまなさそうな苦笑を誘う。
 織月が悪いわけではないのに、そんな顔をさせてしまうことに、輝行まで申し訳なさを感じてしまった。
「でも、合宿では集団で行動することがほとんどなんじゃないですか? それに、夜に出歩くことなんてないでしょうし」
「あー、それがな、あるんだよ」
「え? でも、門限だってありますし、夜間外出は禁止ってしおりにも……」
「肝試しだよ」
 輝行の簡潔な言葉に、織月はやっと納得がいったようだった。そういえば合宿のしおりにも何日目かの夜に、『オリエンテーション』と称した項目があったことを思い出したのだ。それが輝行の言う肝試しなのだろう。
「……それは、一人ずつやるんですか?」
「いや、男女ペア」
「あ、じゃあさほど問題ないですね」
 織月が思いの外あっさりと解決づけるのに、輝行は少々呆れてしまった。確かに織月と輝行がペアになれば問題は解決する。だが、事態はそんな簡単にいかなかった。
「言っとくけど、ペアはくじ引きで決めるんだからな。そんなに上手くオレとおまえとかってならないと思うぞ」
 そう忠告しても、織月はそうですか、と困った様子もない。どこからその自信が出てくるのかはわからないが、織月が大丈夫というのなら大丈夫なのだろうと納得するしかなかった。
 しかしすぐに、実際織月とペアになった後に更なる悩みの種が生まれることに気付く。
(絶対、隼人に何か言われる)
 ただでさえ、隼人は輝行と織月の仲を疑っている。それが偶然にでも肝試しでペアになろうものなら、きっとあることないこと話が膨らんでいくに決まっているのだ。
「先輩? どうかしましたか?」
 無意識に頭を抱えていた輝行を、織月が気遣わしげに覗き込む。間近にある整った容貌に、跳ねるように顔を上げた。そんな輝行に、織月は不思議そうに首を傾げる。
「どうしたんですか?」
 いつも通りの、感情の薄い顔。それに対して湧き上がってくるのは、『どうして』という幾つもの疑問。
 織月は変わらない。輝行に告白した後も。それが、理解できない。
 どうして変わらないのか。どうして告白なんてしたのか。どうして、自分なのか。
「各務、おまえさ、何で……」
「織月?」
 輝行が理由を訊こうとした瞬間、絶妙のタイミングで割って入った、男の声。
 二人揃って声の方に振り向くと、公園のすぐ入り口に、響の姿があった。響は輝行に一瞥だけくれるが、その後は一切織月から視線を外さないまま側まで近づいてきた。
「響さん、今から事務所?」
「ああ。織月ももう戻るんだろう?」
「そうですね、先輩を送っていったら……」
 織月がちらりと輝行を窺いながらそう答えるが、響はその間も輝行がまるで存在しないかのように視界に入れていなかった。その嫌悪感丸出しの態度に、輝行は初対面の時の不快感を思い出す。
 何故かこの響という人物は、最初から輝行を嫌っている様子だったのだ。面識もなかったのに嫌われる理由がわからない。が、あえて好かれたいとも思わないので、輝行も響の存在を無視することに決定した。
「じゃあ、また後で」
「はい」
 結局、響は最後まで輝行を無視したまま、去っていった。遠ざかる響の背中を見送ってから、織月は輝行に向き直る。
「それで、何でしたっけ?」
「あ、いや、何でもない」
 タイミングを外してしまった所為で、輝行は結局織月に訊こうとしていたことは訊けなかった。改めて考えてみると、あまりにも質問の内容が不躾な気がして、訊かなくて良かったのだとも思える。
 織月とはこれからも一緒にいる時間は多い。馬鹿な質問をして気まずくなってしまうのは賢い選択ではないだろう。そう結論付け、輝行はベンチから立ち上がった。
「さて、そろそろ帰るわ、オレ」
「え? あの……」
「まだ三時だし大丈夫だろ。あんまり各務の手を煩わせてばっかりでも悪いしな」
「別に煩わしいなんて思ってないですけど」
 心外だとでも言うように、織月が少しだけ眉を顰める。それに輝行は思わず苦笑いした。
「悪ぃ。そうじゃなくて、どうせこれからも嫌ってほど世話になるだろうし、出来る範囲での自衛はするってことだよ」
「確かに、そうして頂けると助かりますが」
「だろ? だから、日が高いうちに帰るのもその一つ。心配しなくても真っ直ぐ帰るし、何かあったらすぐ呼ぶから」
「……わかりました。くれぐれも気をつけて下さいね」
「おう」
 威勢よく返事をし、少々心配そうな表情の織月を残して輝行は公園を出た。
 日陰から日向へと移動すると、焼け付くような午後の日差しが肌と目を灼いていく。そのジリジリとした熱を疎ましく感じながら輝行は一人歩み、誰にも聞こえない問いを呟いた。
「……何で、そんなに平然としてられるんだよ……」
 その小さな問い掛けは蝉時雨に紛れても、胸の内から消えることはなく、澱のように堆積するばかりだった。

弐 揺光 [了]
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