禍つ月映え 清明き日影

章之壱 清輝に惑う

弐 揺光 [01]

 燦々と降り注ぐ太陽光線が、眩しく目を刺す。日に日に強くなっていく陽射しに、否が応でも夏を感じさせられるようになってきていた。そんなアスファルトに逃げ水が揺らぐ午後二時半前。
 輝行は、予定していた通りの時間に、目的の場所に到着した。ポケットの中から紙切れを取り出し、そこに書かれている店名と看板を見比べる。
 喫茶店『四季』。レトロな外観のこの店が、待ち合わせ場所であることは間違いなさそうだった。一息つくと、意を決してドアを押し開ける。涼しげなドアベルの音とともに、わずかにひんやりとした空気が輝行を迎え入れた。蒸すように暑い外気で火照った肌には、効き過ぎていない店内の空気が心地良い。
 音に気づいたマスターらしき男性が、落ち着いた声で挨拶を寄越す。同時に案内のウェイターが近づいてきた。
「いらっしゃいませ。お一人様ですか?」
「あ、えっと、待ち合わせを……」
 答えながら、きょろきょろと店内を見回す。しかし、見慣れた後輩の姿は、見つけ出せなかった。
「ああ、君が織月ちゃんの」
「え?」
「どうぞ。もう奥に来てるよ」
 輝行が何か答える間もなく、そのウェイターは店の一番奥まった方へと歩き出した。慌てて追いかけると、木製の衝立が立てられ、どこか人目を憚るような場所に、二人がけ用のテーブルがある。その一席には、一瞬モデルかと見紛うような美少女が、文庫本を開いて座っていた。
「織月ちゃん、待ち人のご到着だよ」
 それだけ言い残してウェイターは立ち去ると、織月は読んでいた本から目線を上げた。
「早かったですね。まだ二時になってないですよ」
 細い指先が栞を挟み入れ、本を閉じる。それをテーブルの端に置く所作までが妙に綺麗で、輝行は一体誰と話しているのだろうかと思ってしまった。
「横木先輩?」
「あ、ああ」
 名前を呼ばれ、相手が各務織月本人であることにようやく確信を持つ。曖昧に答えながら、輝行は空いていたもう片方の椅子に腰掛けた。それとほぼ同時、戻ってきたウェイターが、水の入ったグラスとメニューを輝行の前に置く。お決まりになったらお呼びください、と決まり文句を残し、またカウンターの方へと戻っていった。
「あの店員、各務の知り合いか?」
「私のというよりも、私の『知人』の、です。それより、先に注文決めちゃってください。その方がゆっくり話せるでしょう?」
 そう促す織月に素直に従い、輝行はメニューに目を落とした。と見せかけて、チラチラと織月の様子を窺っていた。
 普段はお下げ頭の黒髪は、ヘアカタログのように綺麗に結い上げられ、お洒落にはほど遠いデザインの眼鏡も今はない。身につけているのは、柔らかな印象の白いノースリーブカットソーに黒の七分丈のパンツと、至ってシンプルだがスタイルの良い彼女にはよく似合っていた。
 今の織月の姿を見て、陸上部の地味な後輩である『各務織月』だと気づく者はなかなかいないだろう。それほどに、今の織月は学校での彼女のイメージからかけ離れている。髪や瞳の色どうこうでなく、ただ単純に見た目が違い過ぎた。
「隼人の言うとおり、か」
「え?」
「あ、いや、何でもない」
 思わず口をついて出てしまった言葉を慌てて誤魔化してから、輝行は今度こそメニューに目を向けた。
 今日は土曜日。学校も部活も休みだった。輝行が、夜の学校で蟲の大群に追われ、織月達の監視を受け入れた日から、二日後である。
 蟲の大群から助けられた後、何も詳しい話を聞く暇もなく、織月は立ち去ってしまった。その為輝行は、翌日織月を捕まえて話を聞こうと考えたのだ。
 しかし、以前から親しくしていた仲ならばいざ知らず、ただの先輩後輩の間柄でしかなかった二人だ。織月のクラスは、陸上部の名簿で調べればすぐにわかったのだが、教室まで呼びに行くわけにもいかない。そんなことをすれば、隼人にあらぬ疑いをかけられることは目に見えていた。
 結局、良い案も浮かばぬまま部活の時間を迎え、その部活中にも話すことなど出来ずに悩んでいると、帰り間際、すれ違った織月からこっそりとメモを渡されたのだった。
 そこに記されていたのは、この喫茶店『四季』の名前と住所、そして「午後二時、詳しい説明をします」という走り書きだった。
「で、色々説明してくれるんだよな?」
 アイスコーヒーを注文し、ウェイターが離れていったことを見計らってから、輝行は切り出した。織月は、すでに運ばれてきていたミルクティーを一口含み、軽く息をつく。
「そうですね。話すことが多過ぎて、何からお話しすればいいのか困りますけど」
 言葉ほど困ってはいないような表情の織月を、改めて輝行は見つめた。
 見る限りではごく普通の――容姿的には、充分に普通以上ではあるが――彼女は、実際は全く普通ではない力を有している。それが、今になってもなかなか実感できないでいた。そして、自分自身が非日常的な世界に足を踏み入れつつあることも、どこか他人事のように思えて仕方がなかった。
「まずは、戻士についてお話ししないといけませんね」
「『レイシ』?」
 そういえば、数日前にトカゲに襲われた時にも、そんな言葉を耳にしていた。
「私も、そして常磐事務所で会った三人も、みんな戻士です。戻士とは、本来あるべき形に戻すことのできる能力の持ち主のことを言います」
「……えーっと、悪い。もうちょっとわかりやすく言ってくれ」
 織月の説明があまりにも抽象的過ぎて、まったく意味がわからない。それに織月は面倒臭がるそぶりもなく、そうですね、と少し考え込む様子だ。
「では、私を例にしましょうか。私は、『魔』の戻士です。『魔』と言うのは、この間先輩を襲ったトカゲや蟲のようなもののこと。ヤツらは本来こちらの世界の住人ではなく、仮の身体を得て異世界から侵入してきた存在なのです。それを元の姿――すなわち『(コン)』に戻すのが、私の能力。魔の戻士の力です」
 そこまで言うと、織月はバッグの中から手帳を取り出し、メモページを一枚破いた。そこに『魔…異世界からの侵入者』と書き、更にその横に自身の名前を書き入れる。綺麗な楷書の文字は、きっちりとした性格がそのまま現れているようだった。
「『魂』というのは、この間先輩も目にしましたよね? 光の陣の中に残された、青白い炎のようなものを」
 続けて『魂』と書きながら説明する織月に、輝行はトカゲが消滅した後のことを思い出した。六本の小刀で作られた陣の中の光が、ゆらゆらと揺れる。そして、亨の呪文のような言葉とともに消えていった。
 輝行が頷くと、織月は言葉を繋ぐ。
「魂の状態になった魔を、元の世界に送り返すことができるのが、亨の持つ『門』の戻士の能力です。門の能力は、何かの拍子にできてしまった『日隅(ヒズミ)』と呼ばれる次元の裂け目、つまり魔の進入口を閉じることもできます。その他にも、戻士には様々な能力があり、私の魔を戻す力と同じようなのが、『(ヨウ)』の戻士。『妖』とは、生き物が生み出した感情や想い、いわゆる『(ネン)』と呼ばれるものが変化したものです。よく怪談などで怨念とか呼ばれたりするものですね。一般的に幽霊と呼ばれるものに近いです。妖の戻士は、これを浄化することができます」
 織月は『門』、『日隅』、『妖』、『念』など、出てきた専門用語と説明を次々に書き記し、その度に輝行に向かって見やすいように紙をずらしてくれる。文字になっているお陰で、輝行にも比較的理解がしやすかった。
「じゃあ、この間の化け物たちとはまた違ったタイプの化け物がいるってことか?」
「はい、その通りです。私には妖は浄化できませんし、逆に妖の戻士には魔を戻すこともできません。そして――」
 言葉の途中で、織月は紙を押さえていた左手をすいと上げる。ゆっくりと指し示す先は、輝行の喉元だった。
「横木先輩の首につけられたその紋は、魔が自らの獲物だと見定めた印。魔からも妖からも狙われてしまう目印です」
 ひたと突きつけられた視線と指先に、輝行は知らず息を呑む。ぞくりと、背中を悪寒が駆けあがった。
 そこに、タイミングがいいのか悪いのか、お待たせしましたと声を掛けられる。ウェイターがアイスコーヒーを持ってきたのだ。
 輝行は、詰めていた息をふっと吐き出す。肩の力が、自然と抜けた。
 注文の品と伝票を置いていくと、ウェイターはごゆっくりどうぞと慇懃な言葉を残し、去っていく。それを見届けると、輝行は気を取り直す為にコーヒーを一口飲んだ。すっと喉を通り抜ける冷たさと苦みに、一瞬顔を顰める。否、正確には、とある人物のことを思い出して、苦い表情になったのだ。
「『紋』って……、この間、響とかいう奴に頼むだ何だ言ってたヤツだよな?」
 口に出すと、なおさら苦い思いが広がる。 常磐事務所で会った人物の中で、響の印象が最も悪かった。
 あからさまに嫌悪感も見せる輝行に、織月は苦笑しながら答える。
「そうです。響さんはの『紋』の戻士ですね。先輩のように『付紋』されたものを消す能力を持っています」
「でも、オレのは無理だったんだろう? 大した力じゃないんだな」
「そういうわけではないんです」
 嫌味の籠もった輝行の台詞に、織月はすかさず否定の言葉を返した。響の肩を持つ織月に輝行は内心ムッとする。が、織月の表情が先ほどよりもずっと真剣味を増していること気づき、続く言葉を大人しく待った。
「あの日、横木先輩を襲ったのは、『獣魔』と呼ばれるものです。魔は、その能力に応じてランク付けがされているのですが、獣魔はそれの中間、中位の魔になります」
「じゃあ、やっぱり――」
「ですが、先輩につけられた紋は、獣クラスより上位のものだそうです」
「どういうことだ?」
 織月の勿体ぶるような物言いに、輝行はわずかばかり苛立ちの混じった声で返した。
「獣クラスより上、『王』クラス以上の魔は、自分よりも下位のものを眷族にすることができます。あの獣魔も、上位の魔の眷族だったようです」
「けんぞく?」
「簡単に言えば、部下ですね。主の為に手足となって働く。魔同士でも、階級社会があるようです」
 少し冗談めかして答える織月だったが、輝行は少しも笑えない。これまでの説明を整理していくに従って、徐々に不安が押し寄せてきたのだ。
「なあ各務、訊いていいか?」
「どうぞ」
「その王クラス以上の魔って、あのトカゲより更に強いってことだよな?」
「そうですね」
「じゃあ各務は、王クラス以上の魔と、戦ったことはあるのか?」
「……一度だけ。倒せませんでしたが」
 その言葉を聞くや否や、輝行はガタンと大きな音を立てて席を立った。勢いで揺られたテーブルの上で、アイスコーヒーの氷が冷ややかな音を零す。
「ちょっと待てよ! それじゃあ、オレは四六時あの時以上の危険感じてなきゃいけねぇのか!?」
「落ち着いてください。確かに先輩は狙われてはいますが、王クラス以上と遭遇することは滅多にありませんから」
 輝行の激しい口調に怯むことなく、織月は淡々と説明した。静かに差し出された手に促され、輝行はまだ収まりきらない不安や苛立ちとともに椅子に戻る。
「そもそも魔は、本来こちら側に来ること自体が難しい存在なんです。自然に出来た日隅から出てこられるのは、ごく弱い魔蟲(マチュウ)魔鳥(マチョウ)、そして獣魔の中でも比較的力の弱いものだけ。それ以外は、何らかの形で召喚されなければ来られません」
 細かい仕組みはよくわからないが、そうなっているのだと織月はきっぱりと言い切った。だから、必要以上に怯えなくてもいいのだと。
 しかし、そんなことを言われてもとても安心はできない。できるはずがなかった。輝行自身には、何一つ身を守る術がないのだから。
 そんな思いが表情に表れていたのだろう。織月が不意に挑戦的な笑みを浮かべた。
「大丈夫です。何のために私がいると思っているんですか?」
 普段の織月からは全く想像のできない、自信満々な口調だった。そこには、思わず鼓動が高鳴るほどの、小悪魔的な魅力がある。
 翻弄される自分の心を落ち着かせるように、輝行は新たな質問を投げかけた。
「でも、各務でも対処できないこともあるんだろ?」
「そうですね。しかし、それについても累さんが既に手を打ってくれているようです。その為にも、また常磐事務所まで来て頂かないといけません」
 累と常磐事務所という二つの固有名詞に、輝行は反射的に苦虫を噛み潰したような顔をする。
 響とはまた違った意味で、累は苦手だった。あの掴みどころのなさと、得体のしれない不気味さ。響は笑顔に悪意を乗せていたが、累の笑顔は何も読み取れなくてより一層気味が悪かった。

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